さとうとしお




「どうしたのさ?浮かない顔して」

沖田の呼びかけに、斎藤は文字通り浮かない顔を向けた

「……いや、何でもない」

そう言って誤魔化してみたが
明らかに何か問題でも抱えている様子だったのだろう
沖田は全く信じていないようだった

「ふーん。何もないなら、もっと幸せそうな顔をしたら?だって一君は今、学園一幸せな男なんだし」

幸せな男――それは勿論、昨日のバレンタインの事を指している
結果として、斎藤に果たし状を送りつけた人物は現れなかったが
変わりに校舎裏へやって来たのはだった
弾丸のように、勢いこんで斎藤の元にやってきたは、小動物のように小さく震えていた
オドオドと挙動不審な態度で差し出された小さな箱
その瞬間、堪えきれずに好きだと叫んでしまったのはもう仕方の無い事だった

「結構ちゃんに憧れてるヤツはいたしね」

どうやら、そうらしい
斎藤はあまり知らなかったのだが、に憧れる男子生徒は割といたらしい
だが、そのなのだ
斎藤を今悩ませている原因は
はぁ、と悩ましげについたため息を沖田は見逃さなかった

「やっぱり、何かあったんでしょ?」

「いや……」

「もしかしなくても、原因はちゃん?」

「……」

肯定はしなかったが、面白い程弾んだ肩がなによりの証拠だ
恐る恐る沖田を見上げれば、笑う瞳とぶつかった

「やっぱり、ちゃんなんだ」

「……」

「どうしたの?斎藤センパイの家に行きたいとかって言われた?」

「!」

沖田はエスパーなのか。驚く斎藤に、沖田は笑みを深めた

「へー、そうなんだ。ちゃん、大胆に育っちゃったね――で?勿論了承したんだよね?」

「あ……あぁ」

本当は、戸惑っている間に一方的に押し切られてしまっただけなのだが
が今夜家にやって来るという事実は変わらない

「だったら何も悩む事ないじゃない。だいたい、自分の彼女が家に行きたいって言ったのなら喜ぶべきだよ」

「俺は……そう思えない」

「どうして?」

意外そうに沖田が問う
確かに、本来なら喜ぶべきなのだろうが、斎藤は手放しで喜べない

「どうしてって……俺たちはまだ学生で、しかも風紀委員だ。いくら恋人同士だからといっても……そんな」

言っている内にどんどんと頬へ熱が溜まってゆく
赤く頬を染めた斎藤を観察していた沖田が、ふーんとそっけない返事を寄越した

「なる程。それはとっても下らない悩みだね」

「な!」

「一君。女の子の方からそういう事を言うのって、すごく勇気がいる事なんだよ?それなのに、君そんな理由でちゃんの想いを踏みにじるつもり?」

「お、俺は別に……踏みにじるなどと――」

冷ややかな沖田の視線に、たじろいだ斎藤が一歩後退する
その一歩を詰めた沖田が、まるで冥府から響いてくるような低い声を発した

「もし、ちゃんに恥をかかせるような事があったら――僕が許さないから」

言って、沖田はにっこりと笑ってみせた


◆◆◆



こじんまりとしたごく一般的な一戸建てが、には難攻不落の城に見えた
ごくりと唾を飲み込んでから、緊張に震える指でインターホンを押す
ここが斎藤の自宅だという事実だけでも充分緊張に値するのに
今のには果たすべきミッションがあった
失敗は許されない……絶対に

少し待っただけで、玄関の扉はすぐに開いた
インターホンでの問答に備えて発声練習をしていた
不思議そうにこちらを見る斎藤に照れ笑いを寄越してから口を開いた

「こ、こんばんわ斎藤先輩!さっき学校でお別れしたぶりです」

「……あ、あぁ」

歯切れの悪い返事だった
”お別れしたぶり”がやはり日本語的におかしかったからだろうか。
その程度の理由だと判断した
歯切れの悪さと共に浮かない斎藤の様子をあまり気に留めなかった

案内された斎藤の部屋は、想像通り整理整頓が行き届いていた
も部屋の状態はそれなりに綺麗にしているつもりだが、斎藤の部屋はそれの上を行くものだった
案外男の人の方が綺麗好きなのかもしれない
意外にも綺麗に保たれている幼馴染みの部屋と比較しながらは思った

「……今、飲み物を持ってくる。ここに座って待っててくれ」

ぎこちない動作の斎藤に指定された場所に腰を下ろす
部屋を出て行こうとした斎藤が、一度の方へ振り返り
何か言いたそうな視線を寄越したが、が微笑むと何も言わずに部屋を後にした

ドアが閉まり、斎藤の気配が離れていく
完全に斎藤の気配が無くなった所で、は早速行動を開始した

「えーっと、どこにあるんだろ――」

辺りを見回すと、目的の物はすぐに見つかった
余計なものが何もない勉強机に、ポツリと置かれた小さな箱
淡い包み紙でラッピングされたそれは、が昨日贈った状態のままを保っていた

「――良かった。総司の言った通り、ホントにまだ開けてなかったよ」

ホッと胸を撫で下ろすのもそこそこに、はずっと握りしめていたトートバッグに手を入れた
取り出したのは、机の上に置かれた箱とまったく同じラッピングが施されている
がほぼ徹夜で作り直した贈り物だった



その事実が発覚したのは、昨日の夜
手紙は失敗したものの、結果的に斎藤へバレンタインの贈り物であるクッキーを渡せ
尚かつ告白された、人生最良の日の晩
上機嫌のは、幼馴染みである沖田に余りのクッキーを振る舞った
頬を染めながら校舎裏での出来事を話すの向かいでクッキーを口にした沖田の顔が、突然険しくなった
どうしたのかと問うに、沖田は真剣な顔で、味がおかしいと呟いた
慌ててもクッキーを一口齧る
たった一口齧っただけで、確かに味がおかしいという事実とその理由が分かった

『――砂糖と塩間違えたね、ちゃん』

『……どうやらそのようです。ってかどうしよう!これ、斎藤先輩にもあげちゃった!』

『別にいいんじゃないの?一君なら大丈夫だよ』

『だ、大丈夫な訳ないでしょ!?斎藤先輩って、ただでさえ味には厳しそうなのに……こんな初歩的なミスしたら嫌われちゃう』

の脳裏には、酷く冷たい目をした斎藤が侮蔑の言葉を投げつけ
去ってゆくシーンが浮かんで、焼き付いた
今にも泣き出しそうなを見かねた沖田が、彼なりの労りの声で提案する

『だったら、もう一度作ってこっそり入れ替えたら?』

『――え?』

『だから、明日にでも一君の家に行って入れ替えて来ればいいんだよ。大丈夫、一君ならしばらくは食べずに飾ってる筈だし』

幼馴染みの提案は無謀にも思えたが、追いつめられたはその提案を実行するしかないのだと腹を括った


机の上の小箱を回収し、同じ位置に持って来た小箱を置く
几帳面な斎藤が交換に気付かぬよう、慎重に微調整を繰り返していた所で
ドアが開いた
机から離れようと焦ったは、一気に近くのベッドにダイブした

「……そこで何をしているんだ」

当然のような斎藤の問い
ドアを開けて、誰かが自分のベッドにダイブしていたらそれは驚くだろうと
も思う

「あー、えと、斎藤先輩ってベッド派なんだなって思って!てっきり布団派かなって思ってたから驚きです!」

我ながら雑な言い訳だと呆れる
だが斎藤はの言い訳など聞いていない様子で、やけに思い詰めた表情になったかと思うと
飲み物の乗ったトレーを置いて、素早い動きでの隣へやって来て
力任せにの手を握りしめた

……俺たちはまだ学生だ」

「は、はい……」

「それに、俺たちは風紀委員だ」

「そ、そうですね……」

「い、いや、そうでなくても、やはりこういう事は駄目だ!」

なにが駄目なのか。斎藤の言葉は全く意味が分からなかったが
真剣な様子に圧倒され、とりあえずは頷く

「勿論あんたのそういう気持ちは嬉しい、俺だって……その、出来れば」

「あ、あの。斎藤先輩?」

「あんたに恥をかかせるつもりはない!だが、こういう事はきちんと順序を踏まねばならないと俺は思う」

「あ、はぁ」

「……が大切だから、大切にしたいから言っているんだ――ー分かってくれるな?」

恥をかかせる……大切……
斎藤の言葉を脳内で反芻して、解釈し、はようやく一つの答えにたどり着いた
つまり、斎藤はクッキーの事を言っているのだと
が贈ったバレンタインのクッキーが、実は砂糖と塩を間違えて作っていたと斎藤は気付いたが
に恥をかかせない為、黙っていたのだ

そう解釈したは斎藤の優しさに感動し
回収した小箱が、未開封の状態を保っている事など忘れ去ってしまっていた

「ありがとうございます、斎藤先輩!」

「分かってくれたのだな?」

「はい!先輩は本当に優しい方です。私は幸せ者です」


そうして、微妙に噛み合ない二人は、お互いへの想いを更に深めてゆく





end



勘違いの黒幕は沖田。
ベタなネタですが、書いてて楽しかったです。