月下の花#傷
左肩に手を当て、痛みに顔をしかめる
痛い。
けれど本当に痛いのは肩と心、どちらなのだろう
「……なんてね」
我ながら恥ずかしい
照れ隠しに笑ってみても、乾いた笑い声が薄暗い部屋に不気味な余韻を残しながら溶けるだけだった
痛い。
痛いのは、どっち?
部屋の外に気配がした
静かに佇む気配。まさか、化けて出て来たりしないよね?
あたしは少しだけ緊張して、置いていた刀へ手を伸ばす
「誰、ですか?」
襖の向こうの気配は、息を呑んだようだった
気付かれるとは思っていなかったのかもしれない
ややあって、戸惑うようなか細い声が聞こえてきた
「……俺だ」
聞き覚えのある声、静かなものいい
誰であるかはすぐに分かった
「斎藤組長?」
「……ああ」
短い返事。それきり斎藤組長は沈黙した
襖を開けた方がいいのだろうか?
迷っていると、ようやくまた控えめな声が届く
「、開けてもよいか?」
「あ、お待ち下さい。今開けます」
他の幹部の方は、割と遠慮なしに襖を開けるけど、斎藤組長は違うらしい
あたしが開けるのをじっと待つ斎藤組長の姿を想像して、失礼ながら笑みが零れてしまった
襖を開けると、薄闇を背負ったかのような斎藤組長が立っていた
漆黒の髪から覗く、深い色の瞳があたしを見下ろす
いつもは隙なく鋭い視線が、やはり声同様戸惑っていた
「何か……御用ですか?」
副長からの言伝か
それとも、あたしが処分したあの隊士についての報告の催促だろうか?
そのどちらかであれば、斎藤組長は要点を簡潔に教えてくれる筈だ
けれど、斎藤組長はいや……と言葉を濁した
「たまたま自室に帰る途中、灯火が漏れていたので足を止めただけだ」
「……あの、ここは前川邸ですが」
斎藤組長達の生活する八木邸と前川邸は近いとはいえ、別の家屋だ。自室に戻る途中にしては遠回り過ぎる
それに、あたしの部屋に今は灯火は灯っていない
「……」
「……」
「……その」
何か言い訳しかけて、沈黙
重い沈黙に耐えきれなくなったあたしは、急いで提案した
「ここではなんですし、中に入りませんか?」
あからさまに動揺した斎藤組長を有無を言わさず招き入れる
薄暗い室内に灯火が無い事に気付いた斎藤組長は、しまったという顔をしたけれど無視した
灯火を灯し、向かい合わせに座る
案の定沈黙が訪れる
どうやら斎藤組長は喋るつもりが無い訳ではなく、どう切り出すべきかで悩んでいるようだった
「」
やがて、決心したように畳を見ていた目を上げ、静かあたしの名を呼んだ
ぴん。と空気が張り詰め、左肩が鈍く痛んだ
「例の薬を飲んだ隊士を処分したと聞いた」
「……はい」
喉が詰まってきちんと返事が出来ない
事実なのに、仕方がない事なのに
心が痛い
「あ……もしかしてもっと詳細な報告が必要だったのでしょうか?ならもう一度副長へ――」
「初めてだったのだろう?」
あたしの言葉を、低い斎藤組長の声が遮る
問われた言葉に、体が強張った
緊張する顔は何を思ったのか、中途半端な笑みを浮かべた
「ご存知でしたか……」
はは。と無意味な笑い声が口から零れ落ちる
斎藤組長が言う通り、人を斬ったのは今回が初めてだった
腕に自身があるといっても、それは道場での稽古の場合だ
人の死を見たことがあっても人の命を奪った事は無い
「所詮は実戦経験の無い身です。でも、あたしはちゃんと務めを果たしました」
「ああ。土方さんもお前は立派に任務を遂行したとおっしゃっていた」
その時を思い出したのか、斎藤組長の顔が僅かに穏やかな笑みが浮かぶ
けれど、すぐに笑みは消えた
「ただ、あまりに冷静なお前を心配していた……」
「はい」
「人を斬るのは辛いか?」
単刀直入な言葉
あたしは素直な気持ちで首を振った
心が痛い。けれど、人を斬るのが辛いからじゃない
「人の命を奪う覚悟は出来ています。あたしはそういう道を自分で選びましたから」
人を斬る覚悟。人の命を奪う覚悟。
あたしがあたしでいる為にしなければいけない覚悟
「……ただ、あたしが初めて斬ったのは仲間だった……それが少し、悲しいです」
仲間、と言ってもあたしが彼と初めて対面した時、彼はすでに瀕死だった
血を吐き出しながら、涙を零しながら彼は言った
死にたくない。と
死にたくなくて、変若水を飲んで……彼は血に狂う化け物になった
「彼の体を差し貫いた時、死にたくないって泣いた顔を思い出したんです」
それが、油断だったのかもしれない
刃で体を貫かれても、彼はまだ生きていた
最後の力であたしに反撃を試みた
「……肩をどうかしたのか?」
斎藤組長の声で我に返る
無意識に左肩を押さえていたようだ
彼に傷つけられた、左肩
「お恥ずかしい事ですが、斬った隊士に反撃されました」
「斬られたのか?」
「いいえ……噛まれたんです」
斎藤組長が絶句する気配が伝わってきた
あたしにとってもその反撃は予想外だったのだから、驚くのはよく分かる
原始的な攻撃
それが生きたいという彼の最後の訴えだったのか
獣としての本能に支配されていたのかは分からない
「見せてみろ」
「え?」
予想外の申し出に、戸惑う
「でも、噛まれただけですし……」
「だが手当てが必要かもしれん。見せるだけ見せてみろ」
躊躇ったけれど、傷を検分するまで斎藤組長は退いてくれそうもない
渋々襟元を広げ、左肩を見せると
何故か斎藤組長は目を逸らした
「斎藤組長?」
「あ、ああ……すまない。俺が見せろと言ったのだったな」
言い訳のようなものを口の中で呟いた後、やけに緊張した面持ちの斎藤組長がそっと左肩に手を伸ばした
冷たい、けれど生きている温もりを持つ指先が肩に触れ、思わず肩を震わせた
「……痣になっているようだ」
服の上からでも、骨を砕かれそうな衝撃があったのだ
痣になっていてもおかしくない
「だが、骨には異常ないようだな」
声がとても近い事に気付いて、驚く
薄暗い中でよく見ようとすれば顔を近づけるのは当たり前だ
そんな事を今更実感したあたしは、頬に熱が集まるのを感じながらも
こっそりと斎藤組長の顔を伺った
真剣に肩を見ていた瞳が、ふいにこちらを向いた
「……」
「……」
見つめ合うこと数秒
固まっていた斎藤組長が我に返り、慌てて身を引いた
「とにかく、大事には至っていない。もし痛みが続くようなら、綱道さんに相談しろ」
会話を切り上げるように立ち上がった斎藤組長は、静かな動作で背を向けた
襖を開こうとし、手を止める
「」
「はい」
「人を斬るのは決して楽しい事ではない、相手が仲間ならば尚更だ。だが、これからも同じ事態は何度も起こりうるだろう」
「……はい」
「それでも、お前は」
「後悔しません」
強く、はっきりと宣言する
土方さんに後悔しないと言った時、あたしはまだ何も知らなかった
闇を知った今でも、あたしは後悔していないと胸を張って言える
「……そうか」
短い言葉には、満足そうな声が混じっていた
きっと、斎藤組長は微笑んでいるのだろう
何故かそう思った
「邪魔したな」
襖を開け、斎藤組長は深まる闇の中へ紛れていった
「あ」
闇に溶ける背中を見つめながら
あたしは唐突に気付いた。斎藤組長が突然訪ねてきた訳を
疼く左肩に手を当てる
この傷の痛みはしばらくとれそうにない
けれど、あたしの顔は笑みを宿した
こんなあたしでも、心配してくれる人がいる
だからあたしは、大丈夫
どんな闇の中にでも、顔を上げてまっすぐに進む事が出来る
斎藤組長の背中が見えなくなっても、あたしはしばらく夜の闇を見つめ続けた
end
初めて人を斬ったヒロインと、それを心配して訪ねて来た斎藤さん。
序章と一話の間ですが、やや序章寄りのエピソードです。
アンケお礼夢なのに、なんでこんな重い内容にした自分……
本当はもっと明るいエピソードにしようかとも思っていたのですが
「月下の花」本編自体が、割と重めのシリアスなので
本編の雰囲気でいってみました。
全然お礼になっていなくてすみません。
羅刹隊士に噛まれた設定は、アニメ一話の羅刹の顎の強さに驚愕したからです。
でも、噛まれるって……ほとんどギャグですよね
あと、噛まれ跡を見た斎藤さんに「後で薬を持って来てやる」という台詞を言ってもらうかで悩んだのですが
斎藤さん→薬=石田散薬はもうギャグでしかないので止めました。