月下の花#たそがれ
大きな満月が夜を明るく照らし出していた
たった一人、佇む人影に彼女は足を止める
背を向ける人影は彼女に気付かない様子で、空を見上げていた
手に持つ何かが月灯りを反射してきらりと光った
刀だ。彼女は直感的に思ったが何故か恐怖を感じない
よくよく観察すると、佇む人影はだんだらに染め抜かれた羽織りを身に纏っていた
壬生狼。
父親が彼らをそう呼んでいた事を彼女は思い出す
野蛮な人斬り集団だと陰で囁く声も聞いた事がある
けれど、凛とした背中は父親達が揶揄するような野蛮な要素は見当たらない
一陣の風が人影の長い髪を揺らし、羽織りをはためかせた
そこでようやく、彼女はその人影から目が離せなくなっている自分に気づいた
「いいか、これは重要かつ極秘の任務だ。心してかかれ」
肩に手を置き、真剣なまなざしの永倉にやはり真剣な面もちでは頷いた
「了解しました。永倉組長」
「つかさ、なんではそんなカッコなわけ?」
二人を遠巻きに眺めている藤堂が素直な指摘を口にする
普段は袴姿と腰には刀という男と変わらない格好をしているせいで、今のの姿に驚かれても仕方がない
そもそも、当のが違和感を覚えているのだ
結い上げた髪と小袖。どこからどう見ても普通の町娘にしか見えない自分
己の姿を一度見回してから、藤堂を不安そうに見る
「へ、変ですか?」
「いや、変とかじゃなくて……なんか」
「意外、だよね。君に女装の趣味があったなんてさ」
「……沖田組長、それって冗談ですよね?」
沖田はにこやかに笑っただけで、の問いに答えない
からかわれているとは分かっていても、釈然としない思いが残る
「けどよ、なんでそんなカッコしてんだ?任務がどうとか言ってたけどよ」
原田が問い、待ってましたとばかりに永倉は胸を張った
も永倉の発言に注目する。娘姿で来るように言われていただけで、実の所「任務」の内容は知らされていない
「実はだな、屯所の南をちょっと行った所にある茶屋の看板娘なんだが……」
茶屋の看板娘……確か気立てが良いと評判の娘だ
「その子が、一体どうしたっていうの?」
「最近、想いを掛ける男がいるらしいんだが、その男っつうのがどうやらウチの隊士らしいんだ。な?気になる話だろ?」
身振りを交えながら一息で喋り終えた永倉を以外の男達は冷めた目で見つめていた
なんとか表情には出さない努力をしていたも、「任務」の内容を察し内心かなりの衝撃を受けた
「……まさかとは思うが、その娘の想い人を探る為ににこのような格好をさせたのか?」
今まで終始無言だった斎藤がようやく口を開き、永倉は満面の笑みを見せた
「さっすが斎藤!話が早くて助かるぜ」
「新八……くだらねえ事にを巻き込むなって」
「ほんとほんと。全く、迷惑な話だよな。なぁ?」
「……え、えっと」
迷惑だ。などと正直に言えるわけがない
返答に困るの前で、永倉が困ったような声を出した
「なんだ?お前らは気にならねえって言うのかよ?」
「そりゃちょっとは気になるけど……」
「ちゃんを使ってまで調べる事かな?知りたいなら新八さんが直接聞きにいけばいいじゃない」
「ば、馬鹿!俺が聞いてどうするんだよ?こういうのはな、女同士の方がいいんだよ」
「確かに一理あるかもな。お前みたいな筋肉の塊みてえな男に問い詰められても怯えられるだけだからな」
正直な感想を原田が漏らすと、反論しかけた永倉が自分を落ち着かせるように小さく息を吐いた
「まぁ、そういう事だ。野郎にはちっと聞きにくい内容だろ?だから、に探ってきて欲しいんだよ」
「……」
「くだらぬ。、相手にしなくていいぞ」
「……い、いえ!あたし、その任務お受けします!」
斎藤の言葉に抗い、勢いよく首を振ったは永倉をまっすぐに見上げた
皆に言うと笑われてしまうが、どんな内容でも頼られる事は嬉しい
「頼んだぞ、」
「はいっ」
熱く見送る永倉と、諦めた様子の幹部連中に見送られ
は「任務」を遂行すべく、いつの間にか着慣れなくなった小袖の狭い歩幅に戸惑いながら屯所を後にした
「で?上手く聞き出せたのか?」
席に着いて早々原田に問われ
結論を告げる前には、いきつけの甘味処に集合した面々を見渡した
原田に藤堂、沖田、それから斎藤
肝心の永倉の姿が無い
「あの、永倉組長は?」
「ああ……あいつは直前に怖じ気づいちまってな、結論を聞いて来て欲しいってよ」
「どうも新八っつあんのヤツ、自分があの子の想い人だと思ってるみたいでさ」
「はぁ……成る程」
原田と藤堂に気の抜けた返事を返す
期待に胸を膨らませているらしい永倉の事を思うと
が得た情報と、そこから導いた推論を発表するのは躊躇われた
「で?どうだったの?その様子じゃ、新八さんの期待とはちょっと違う結果だったみたいだけど」
机に肘を付き、楽しそうに笑う沖田を戸惑った目で見てから
意を決したは口を開いた
客のまばらな店内への配慮は忘れずに
茶屋の娘は噂通り気だての良い娘だった
素直な性格なのか、さりげなく聞き出すへ
何の疑問を持つ事もなく例の想い人について教えてくれた
満月の夜、たった一人道に佇む人影
だんだら模様の羽織を羽織り、手には抜き身の刀
後ろ姿しか見ていないが、小柄な背は凛としていて
長い髪が夜風に舞っていた
茶屋の娘から得た情報をそのまま伝えると
一同はそれぞれに考える素振りを見せた
「小柄な背と長い髪、か……新八っつあんと全然違うじゃん」
「はい、残念ながら永倉組長の特徴とは一致しません」
「ならちゃん、君は誰だと思う?」
沖田に問われ、は自分なりの結論を告げる
「だんだらの羽織だと彼女が明確に言っているので、隊士の誰かというのは間違いありません。一人だったという事は、単独行動が許可されている人物かと思います」
「つう事は、幹部以上って事か」
原田の呟きに頷き返す
「以上の事を踏まえると、該当する隊士は……」
言葉を区切り、は無言で藤堂と斎藤に視線を寄越した
原田と沖田も二人に注目する
「お、俺!?」
あからさまに動揺する藤堂と、僅かに迷惑そうな表情を見せる斎藤
「それと、可能性は低いですが……土方副長も、かと」
自信無さそうに付け加えると
斎藤だけが、深く頷いてくれた
「俺も、土方副長ではないかと思う。暗闇でも人を惹き付ける人物といえば副長しか居ないだろう」
「そう思ってるのは一君しか居ないと思うけどなあ」
半ば呆れた様子で呟いた沖田に、斎藤がもの言いたげな視線を寄越す
「でもよ、土方さんはそんな背ぇちっこくねぇだろ?」
「つう事は、やっぱり平助か斎藤のどっちかか」
やはりそうなるのだろうか
むしゃむしゃと団子を頬張る藤堂を見つめながらは娘の顔を思い出す
自身、はっきり恋だと呼べる恋の経験は無い
藤堂か斎藤、あの娘はどちらかに恋をしてしまったのだろうか
「ねぇ、どうして候補が平助か一君だけなの?」
沖田の問いに、皆が困惑した目を沖田へ向ける
皆の代表として、原田が口を開いた
「お前、話聞いて無かったのか?娘の話を総合すると平助か斎藤しかいねぇんだよ」
「なんで?もうひとり居るじゃない」
平然と言ってのけた沖田へ、更に困惑の視線が集まる
湯のみの縁をなぞっていた手を止め、そのまま一人の人物を指し示す
「え」
ぴたりと人差し指の照準に捉えられたが中途半端な声を挙げ固まった
笑顔の沖田と、目を点にした藤堂、原田、斎藤
「で、でもは幹部じゃねえじゃん!」
藤堂が声を絞り出し、沖田がやはり平然とした様子で答える
「正確には単独行動が許された人物でしょ?ちゃんは幹部じゃないけど、立場的に単独行動は許可されてるじゃない」
「で、でも……茶屋の娘が見たのは男だったんじゃん?」
「誰も男だなんて言ってない筈だよ。その子は隊士の顔も見てないし、新選組の隊士だから男だって思い込んでただけなんじゃないかな」
沖田の論に対抗出来る者は居なかった
それどころか、娘の想い人がであるという考えに皆が傾きつつあった
今は綺麗に結い上げられた髪も、普段は適当に縛って後ろに流している
背丈も女としては標準だから、男としてみれば小柄だろう
それに、は単独で隊務をこなす事も多く、夜間の活動も多い
考えれば考える程、条件はに当てはまる
「……意外な形で解決しちまったようだな」
締めくくる原田の言葉に、藤堂と斎藤が頷き密談はお開きになった
「やっぱり……納得いきません」
控えめに、けれどありったけの不満を込めて隣を歩く沖田を見上げる
原田と藤堂は、早速結果を永倉に報告するのだと
楽しそうに一足早く屯所へ帰っていった
斎藤は、複雑そうな顔でをじっと見た後
ついでなので鍛冶屋に寄っていくのだと、さっさと立ち去ってしまった
残された沖田とは散歩も兼ね、のんびりと夕暮れの町を歩いていた
「別にいいじゃない、君に想いを寄せてる子が居たってだけなんだし。嬉しい事でしょ」
「女の子に想いを寄せられても嬉しくありません!」
「……ああ、そう言えば君は女の子だったね」
からかわれている。
笑う沖田に向け、心の中でひっそりとため息をつく
「本当に、あたしだったのでしょうか」
「君だよ」
やけにきっぱりとした声で沖田は断言する
それが少々には引っかかった
何故、沖田は断言出来るのか
「沖田組長。その自信はどこから来るんですか?」
の問いに、沖田は目を細め珍しく照れたように笑った
沈みかける夕日が、沖田の笑顔を赤く染める
「それはね、僕も茶屋の子と同じ事を思ってたからだよ」
「同じ事?」
「うん」
言葉の意味が分からず首を傾げたへ、沖田が頷く
相変わらず読めない笑顔
もやっとした気持ちが残るが、尋ねた所で沖田から答えは貰えそうにない
諦めたは黙って、沖田の隣について歩く
ようやく小袖の歩幅の感覚を取り戻したのだが、気を抜くと沖田はどんどん先へ行ってしまう
沖田がわざといつもより大股で歩いている事に気付かないは
楽しげに笑う沖田の視線の意味を理解出来なかった
◆◆◆
「!!」
騒々しい足音と、荒っぽく呼ぶ声
手入れしていた刀を置いて、が廊下へ目をやったと同時に
永倉が部屋へ駆け込んで来た
と共に刀を手入れしていた斎藤も静かに永倉を見上げた
「どうしたのですか?永倉組長」
先日の茶屋の娘の件ですっかり元気を無くしていた永倉が
久々に見せる元気な姿に多少圧されながらが問う
勢い込んで来た永倉は、の前に片膝を立ててしゃがみ
大きな両手での肩をがっちりと掴んだ
「任務だ!大変な事件が発生した!」
その一言に、斎藤は呆れたため息をつき刀の手入れを再開した
動きを封じられているは、永倉を無視できず仕方なく口を開いた
「大変な事件……とは?」
「総司だよ総司!」
「沖田組長ですか?」
「あいつ……女が出来たみたいなんだ!」
初耳だ。思わずも驚きを浮かべてしまった
流石に斎藤も再び顔を上げ、永倉に注目している
「それは、事実なんですか?」
「見たヤツが居るんだよ!夕暮れの町を仲良さそうに二人で歩いてるのを!」
……夕暮れの町?
引っかかったが、いつの目撃談なのか尋ねると
永倉は興奮した様子で教えてくれた
それは、やはりと言うべきなのか、が永倉の命で茶屋の娘の調査をした日だった
「な?気になるだろ?しかも俺たちに内緒にしてんだぜ?水臭いじゃねえか」
「あの……永倉組長……それは」
「放っておけ、」
静かに斎藤が遮る
どうやら、斎藤も全てを察したらしい
冷たい一言に戸惑ったは苦笑いで永倉を見つめた
「、これは重要かつ極秘の任務だ。心してかかれ!」
真相を知らない永倉の元気な叫び声が前川邸を揺さぶった
end
元々拍手用に書いていたものですが
長過ぎたので、こちらにアップしました。
ドラマCDのようにみんなでわいわいやってる話を書きたかったのです