月下の花#8





「池田屋ではご苦労だったな。これは、まぁ、その褒美だ」

いつもは険しい目元を緩め、柔らかく笑う
そんな土方さんの労いの言葉を聞きながらも、目は差し出された“褒美”に釘付けだった
瓶の中から透明の液体がきらきらとあたしを誘う

「ほ、本当に頂いて宜しいんですか?」

「いいから渡してんだよ」

「あ……ありがとうございます!」

働きを認められた事、そして褒美の品に頬が緩む。思わず喉も鳴る

「……よっぽど好きなんだな」

あたしはよっぽど目を輝かせていたらしい
呆れたような声に、顔が熱くなるのを感じた

「そ、そんなに好きという訳では……ただ、これは滅多に手に入らない物だったので」

「そうなのか?一番良い物をくれって言っただけだから、正直良く分からねえんだが……」

流石……新選組副長の名は伊達じゃない
欲しいからといって、簡単に手に入る品ではない事を、きっと土方さんは知らない

「まぁ、元々酒の味なんて良く分からねえが、褒美としての価値は充分だったみてえだな」

そう言って、土方さんは笑う
つられて笑ったあたしは大きく頷いた

「はい!充分です」

「充分……というより、貰い過ぎなんじゃない?」

クスクス。笑い声と共に襖の向こうから声が届き
あたしと土方さんは同時に声の方向を見やった
スッと襖が開く、いつも通りの読めない笑みを浮かべた声の主があたしと土方さんを見下ろしていた

「貰い過ぎって事はねえだろ総司。の働きは大きかったんだからよ」

眉間に皺を寄せ、訝しげに反論した土方さんへ、声の主である沖田組長はそうかなぁと首を傾げる

「だってちゃんは一人も斬ってないし、池田屋でした事と言えば命令違反と顔に傷を作った事位じゃないですか」

「命令違反だあ?」

土方さんは益々訝しげな表情で首を傾げるけれど
なんとなく、沖田組長が言いたい事は分かる
あたしは、沖田組長の止める声を無視して風間というあの剣士を追いかけた

「行くなって僕は言ったのに、無視して追いかけたのは命令違反だよね?」

向けられた言葉に何も返せない

「あ……えっと……」

あの時は目の前の敵しか見えていなかった。そう正直に言って許されるだろうか
沖田組長の視線から逃げるように瞳を泳がせていたあたしの代わりに
土方さんが呆れた声を出した

にはある程度の独断が許されてる。それ位で責められる筋合いはねえな」

土方さんの言葉に、沖田組長は楽しそうな笑みを返しただけだった
きっと、沖田組長も本気で命令違反なんて思っていないし
それを罰しようとも思っていないんだろう

「それに、敵を追って二階から飛び下りるなんざ、男でもなかなか出来ねえ。気概があっていいじゃねえか」

「気概……ね。確かに、何の躊躇いもなく飛び下りたのには驚いちゃいましたけど」

二人分の視線が痛い
いくら敵を追いかける為とはいえ、後先考えず二階から飛び降りるなんて
冷静になって考えてみると、あまりにも恥ずかしい行動だった
思わず俯いたあたしの耳に、でも。という沖田組長の強調声が届く

「でも、深追いはあまり感心しないな……ねぇ、一君だってそう思うでしょ?」

唐突に話題を振られた斎藤組長がびくりと肩を震わせる
沖田組長に襟首を掴まれこちらに背を向け息を殺していた斎藤組長はしばらくの沈黙の後、小さく頷いた

「あ、ああ……」

「なんだ?斎藤もに褒美は勿体無いと言いたいのか?」

「い、いえ!俺はそんな事を言うつもりは……」

背を向けたまま、斎藤組長はもごもごと呟く
まるで猫のように襟首を掴まれた斎藤組長は居心地が悪そうに身を縮め
その姿は新選組一二を争う剣士には、失礼ながら見えなかった

「……ただ、深追いした結果は負傷したので……その」

更に言葉を続ける斎藤組長
その態度に、一番に焦れたのは沖田組長だ

「ああもう、回りくどい上にじれったいよ。一君、ちゃんに渡したいものがあってさっきからここをウロウロしてたんでしょ?」

「あ、ああ……だが、副長の前で渡せば失礼に当たらぬだろうか」

「そんな事ないって。ホラ、さっさと渡して来なよ!」

ぶん。放り投げる様に、力任せに腕を振った沖田組長に
投げ出された斎藤組長は反転し、ヨロヨロと数歩進んだ後
あたしの目の前で止まった

「……」

「……」

物言いたげにあたしを見下ろす斎藤組長
の、腕の中には……石田散薬?
腕一杯に抱えられた石田散薬に、目が釘付けになる
こんなに沢山どうしたんだろう?というより、こんなに沢山持ってどうするつもりだろう

「……

降ってきた声に、はっとなって上を向く
こちらを見下ろす顔は強張り、瞳は真剣だった

「傷の具合はどうだ?」

「え?あ、これですか?浅い傷ですし、痛みはもうありません」

頬に走った傷を撫でる。これは、不名誉の証

「そうか、ならば良い。だが、用心に越した事はない。跡を残さぬ為にも、これを飲んでおくといい」

言って、膝を付いた斎藤組長が腕の中の石田散薬を差し出した
困惑しながらも両手を伸ばして受け取る
大量の石田散薬はあたしの手に余り、ぽろぽろと脇から零れ落ちた

「副長の前で俺が言うのもおこがましいのだが、その薬は本当に素晴らしいものだ。あんたのその傷もたちどころに治り、跡も残さぬだろう」

「……はぁ」

いつか、聞いた事がある
斎藤組長は石田散薬をどんな薬よりも信頼し、愛用していると
そう教えてくれた方は、斎藤組長を憐れむような表現をしていたけれど
斎藤組長が最も信頼を置く薬だし、何より土方さんの実家で作られたものだ
余程良い薬なんだろうけど
こんなに貰ってしまって良いのだろうか

こんどはあたしが腕一杯に石田散薬を抱えながら
土方さんへ視線を送ると、複雑そうな苦笑いが返って来た

「斎藤なりの労いだ。遠慮せず受け取ってやれ」

再び、斎藤組長を見る
真剣な瞳はじっとあたしを映していて
あたしはその瞳に向け、素直に笑いかけた

「ありがとうございます。有り難く頂戴します」

安堵したらしい斎藤組長が顔の緊張を解く
心からあたしを案じてくれた、優しい微笑み

そんな斎藤組長の背後では、沖田組長が真逆の笑みを浮かべていた

「効くといいね」

その声にも、言葉とは裏腹な意味が隠れているようだった
斎藤組長もそれに気付いたらしく、不快そうな視線を沖田組長に送る
ゆっくりと室内に入って来た沖田組長は、笑みを崩さないまま
斎藤組長の隣に屈み込む

伸びて来た指先が、あたしの傷をそっと撫でた

「まぁ、万が一跡が残っちゃったら僕がお嫁さんに貰ってあげるから安心しなよ」

「総司っ何を言い出すんだ」

「そうだぞ総司。そういう冗談は笑えねえから止めとけ」

「じゃあ、冗談じゃなければいいんですか?」

いたずらっぽい笑みを深めた沖田組長に、二人は押し黙る
土方さんは呆れ、斎藤組長は絶句しているようだった

「あの、沖田組長のお心遣いは嬉しいのですが……そう言われても特に安心出来ません」

「そう?でも、僕は強いよ?」

「それが一体何の関係があるんですか!?」

理解が難しい理論に、思わず声を荒げてしまう

「だって、ちゃんは自分より強い男が好みでしょ?」

事も無げに言われた言葉に愕然とする
一体何を根拠にそんな事を……
すると、沖田組長の隣で斎藤組長が深々と頷いた

「うむ。確かにには剣の腕に優れた者が似合いだろうな」

「さ、斎藤組長まで……」

「おいてめぇら、をからかうんじゃねえよ」

土方さんの諌める声を無視し、二人は好き勝手にあたしの好みを論じ始めた
どうやら、二人の中ではあたしは自分より剣の腕が立つ相手を好きになるらしい
求婚された時はまず刃を交え、そして相手が勝てばあたしは求婚を受けるそうだ

どこまでも飛躍してゆく話を、土方さんもあたしも黙って聞いていた



「ならば私は、君に求婚する権利すらもないようですね」

突然聞こえた声
開け放たれた障子の向こうに立つ人物の一言に
沖田組長も斎藤組長も言葉を切って、彼へ振り返った

「山南総長……」

「今の私には、刀を握る事すらままならないのですから」

自嘲めいた言葉
それはまるで冷たい刃のように、あたしの胸に刺さる

「あの……!」

気付けば、勢い良く立上がっていた
腕の中から斎藤組長に頂いた薬がぽろぽろと落ちる
今はそれを気にしている場合ではない

言わなければ
言葉は思いつかない。けれど、山南総長に何か言わなければと思った
きびすを返して歩き去った山南総長を追いかけて廊下へ出る

けれど、山南総長の姿は

「あ……」

もう、どこにもなかった





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「傷が残ったらお嫁さんにしてあげる」はお約束です。
沖田さんは冗談なのか本気なのか

悪ノリした幹部二人と、緩んだ空気を凍らせたネガティブ総長の回でした。

ご褒美は副長のポケットマネーです
多分池田屋の一件で、会津藩辺りから恩給が出ていたりして
けど、ヒロインの分は無いので、副長自ら”ご褒美”をくれた
だいたいそんな感じです……