ノワール#こどものひ
自身が招かれざる客だという事実を気にする事もなく
今日も風間は雪村の家を訪ねる
かつては小さくとも立派な集落を築いていた村は滅び
今は不格好な家が一軒だけ建っている
家……といっても、風間からすればほとんど小屋に近いそれは
いかにも素人が手直ししたというお粗末な趣だ
一度、ここの住人達に相応しい屋敷を建ててやろうとしたのだが
欲の無い二人の兄妹は必要ないときっぱり断られた
どんなに不格好でも、姉と共に再生させた大切な家だから
このままでいいのだと
風間はふと立ち止まり、小さな家を仰いだ
屋根に穴が空いている。あれではきっと雨漏りをしている筈だ
腕の良い大工を手配するのは容易な事だが
千鶴と薫は、固辞するだろう
に至っては、もうこの家の住人では無い癖に
余計な事をするなと怒りだすだろう
そうぼんやり考えていると、先ほどから漏れ聞こえていた騒がしい音が近付いて来
やがて乱暴に障子が開くと中から幼い娘が飛び出して来た
少女は幼い顔に薄化粧を施され、美しい衣装を纏っていたが
所作は荒々しく、ぴょんと縁側から飛び降りると
白い足袋が汚れるのも構わず、必死の形相で風間の元へ駆け寄って来た
その顔には、どこか見覚えがある
「風間!わたしを連れてにげろ!」
そして、そのものいいにも聞き覚えがあった
「逃げたって無駄だよ姉様!」
「大人しくしてください姉様!」
少女の後に続いて縁側へ飛び出して来たこの家の住人、千鶴と薫が口々に少女へ告げる
「姉様……?」
風間が少女に不審の目を向ける
確かに、顔立ちも物言いもにそっくりだ
けれど、風間の知っているはこんなに幼い娘ではない
「なにをほうけている!はやくわたしを連れてにげろっ」
風間の袖を引っぱりながら命令する姿は、間違いなくだった
「……雪村か?」
「今は土方つってもらいてえな」
憮然とした声の方を見遣る
いつの間にか縁側に立っていた土方が庭に降り立つ
京にいた頃と同じような敵意に満ちた目で風間を睨みつけた後
険しい顔をに向けた
「コラ。そいつからとっとと離れろ!そして、いい加減諦めろ」
「い、いやだ!」
はさっと風間の背後に隠れ、着物をしっかりと掴んで土方を睨みつけた
「お前たちにいいようにされてたまるか!」
「そんな事言わないでよ姉様……もう少しで完成なんだから」
「お願いします風間さん。姉様をこちらに渡して下さい」
「きくな風間!千鶴とて今は敵だ!はやくわたしを連れてにげろっ」
「……」
強気なが懇願のまなざしで風間を見つめている
理由も何も分からないが、この少女がである事は覆しようのない事実のようだ
そのが、初めて自分から風間を頼って来た
それだけが、何も理解できないこの状況下で唯一風間が理解出来る事
「ふん。私を連れて逃げろとは、まるで駆け落ちを請う女のようだな」
口の端を吊り上げて笑った風間は
片手でを抱えると、ゆっくりと雪村の家に背を向けた
「貴様の願い通りここから連れ出してやる。そして、俺がもう一度貴様を育て直してやろう」
「……え?」
「言葉遣いも格好も、俺好みに変えてやる。これからしばらくはこの俺を父上と呼ぶがいい」
が幼くなったのをいいことに、屋敷に連れ帰り
自分好みの女に仕立て上げようと喜ぶ風間に、青ざめたは
ようやく頼った相手を間違えた事に気付いた
「は……はなせはなせー!」
どれだけ幼い体が暴れても、痛くも痒くもない
意気揚々と帰途につく風間の前に、薫と千鶴がそれぞれ大通連と小通連を手に
立ちふさがった
風間の背後には、土方が拳を鳴らして立っている
「風間、姉様をこちらに渡せ」
「風間さん、姉様を放して下さい」
「風間……人の嫁に手え出すなんていい度胸してんじゃねえか」
三人がじりじりと距離を縮める
流石の風間でも、子どもを一人抱えた状態で三人を相手にするのは分が悪かった
「それで?結局この騒ぎは一体なんだったのだ」
口元の血を拭いながら、不機嫌そうに風間が問う
土方は答える気がさらさらないらしい
ぷっと頬を膨らませて拗ねていると、その髪を結っている上機嫌の薫をじっと観察している
せっせと人数分のお茶を用意していた千鶴が
風間の問いに丁寧に答えてくれた
と土方が久々に家を訪ねて来たのが昨日の事
朝、達の部屋を訪ねるとなんとが幼い娘になっていたらしい
土方や薫、千鶴にも、もちろん自身にも原因は分からない
分からないなら仕方ない、その内どうにかなると四人は考えたのだが
少女らしい格好をさせようと千鶴が言い出したのが
この騒ぎのきっかけだという
始めは普通の村娘の格好だったのが、折角だからと薫がどこからか
美しい打ち掛けを取り出して来た
最終的には三人が結託してを綺麗に着飾ろうとし
抵抗したが逃げ出した……
平和といえば、平和な話だ
だが
「……何故誰一人危機感を持っていない?」
「危機感、ですか?」
きょとんとした千鶴が首を傾げてみせる
その態度からも、危機感など欠片も持っていない事が分かる
「が元に戻る保証など無いのだぞ?ずっと幼い娘姿のままかもしれんというのに……」
「それは、困りましたねー」
「……」
全く困ってはいない千鶴の笑顔に、風間は眉を寄せた
「……全く困ったようには聞こえぬが」
「そんな事ありませんっ。姉様がこのまま……こんな可愛らしい姿のままなら、新しい着物を用意しなければなりませんし、あ!髪飾りも!どうしよう、江戸までお買い物に行かなくちゃ」
この中では比較的まともな方だと思っていた千鶴のまともではない発言に
風間は身を引き、そっと千鶴から視線を逸らした
「よし、完成!出来たよ姉様」
満足そうに、弾んだ声で薫が告げる
その声につられてへと顔を向けた風間は、思わず瞠目した
綺麗に髪を結われ、紅まで引かれたは素直に美しいと思った
きっと普段のに同じ格好をさせてもよく似合うだろうが
幼い姿に不釣り合いな薄化粧のせいなのか、却って色気を伴っている
息を呑んでただ見つめるだけの風間を他所に、薫と千鶴が同時に感嘆の声をあげる
「「姉様可愛い!」」
だが立上がったは弟や妹に応えず、何故か挑むように土方を正面から見据えた
どうやら、土方の評価を気にしているらしい
土方も風間のように静かにを見つめていたが
やがて柔らかく笑うと
「よく似合ってるぜ」
仮にも京では『鬼の副長』と呼ばれていた男とは思えない微笑みと言葉
それを聞いた途端、は眉を顰めた
不機嫌になった訳ではない。の不機嫌な顔を嫌と見て来た風間には分かる
あの顔は……ただの照れ隠しだ
憮然と、唇を引き結んだは裾を引きずりながら土方へと近付き
ぽすんと、あぐらをかいた土方の足へ腰を下ろし
もたれかかるように背を預けた
「な、なんだよ?……いきなり」
突然の行動に流石に驚いたらしい土方がの顔を覗き込もうと首を曲げる
土方に包み込まれる形のは、何故か胸を張って堂々と答えた
「子どもは甘えるものだろう?」
その場にいた、以外の全員が絶句する一言だった
薫も千鶴も土方も……風間でさえから発せられた一言が聞き間違いではないかと疑う程だった
やがて、最初に我に返った土方が笑みを零した
満ち足りた、幸福そうな笑みだった
「……しょうがねえ奴だな」
言って、の頭をそっと撫でる
「土方ッ!折角整えた髪が乱れるだろ!?というか、姉様に馴れ馴れしく触るな!」
続いて我に返った薫が怒鳴る
対する土方は、いいじゃねえか夫婦なんだからよ。と火に油を注ぐ発言で更に薫の怒りを呷り
千鶴は羨ましそうにその光景を見つめていた
「……帰る」
狂おしい嫉妬と敗北感を押し殺した風間が立上がったが
誰一人気付く者は居なかった
不格好な家を再び仰ぎ見る
幼くなってもは尚美しく、風間の目に焼き付いていた
「……次に来る時は、西洋の装束でも持参するとしよう」
今は「東京」と呼ばれる江戸の地で、異人の少女を目にした事がある
少女が纏っていたドレスという装束が印象的だった
が着れば、それは美しいだろう
小さな決意を胸に、風間は雪村の里を後にした
end
本来は去年の5月5日のこどもの日企画で書き始めたお話です。
突然小さくなった姉様と、それを愛でる雪村兄妹と土方さん
そしてどこまでもタフなちー様。
久しぶりの更新がこんなふざけた感じですみませんっ