ノワール#ウタカタ1





「ってえ……」

腕に走る三本の赤い線を忌々しく見つめながら
歳三は舌打ち混じりに呟いた

大した傷ではない
だが、この傷跡を付けた張本人の事を思い出すと苛立で
じくじくと傷が痛んだ

「またやられたのか、トシ」

歳三の傷を心配するでもなく、爽やかな声を掛けて来た近藤は
振りかえった歳三に声同様爽やかな笑顔を向けた

「ああ……ったく、なんで俺が引っ掻かれなきゃなんねえんだ」

「トシ、ちゃんは幼くとも女の子だ。丁寧に扱ってあげなければ」

こちらに非があると言いたげな近藤の言葉に、歳三は顔を顰める

「酷いぜ近藤さん。俺は逃げ出そうとしたアイツを捕まえただけだ」

「何?また逃げ出したのか?」

近藤は驚いた顔になったが
特に困った様子も見せず、嬉しそうに笑った

「そうかそうか、元気そうでなによりだ」

「……」

どこまでも楽天的な近藤に、思わず呆れてしまう
元気で良いなどとのんびり構えていられない
今の少女――は、さながら小さな獣だった


山の中で出会った少女を近くにあった近藤の道場へ連れ帰ったのは
もう半月も前になる
意識を失い倒れた少女は、数日間夢と現の間を彷徨っているように
時々ぼんやりと目を開けてはうわごとを繰り返していた
歳三は寝る間も惜しんで付き添っていたが
意識を取り戻した少女の瞳に浮かんだのは、感謝や戸惑いではなく
山の中で向けられたものと同じ敵意と拒絶だった

それからは小さな獣との格闘の日々だった
隙を見て逃走を図る少女を、捕まえ連れ戻しては暴れられて傷が増える
体格も腕力も圧倒的に歳三が有利だ
少女も力で敵わない事は充分分かっているとは思うのだが
学習能力が無いのか、何がなんでも世話になりたくないのか
少女は全てを拒絶するように、逃げ出す


「今はまだ混乱しているだけだろう。心が安まれば大人しくなるさ」

「……大人しく、ねえ」

敵意を剥き出しにしたの瞳を思い出すと
近藤の言葉はとても楽天的に感じる
が今拒絶している全てを……歳三を受け入れる日など来るのだろうか

沈黙していた歳三が、隣の視線に気付きそちらを見ると
近藤は持ち前のおおらかな笑みで歳三を見ていた

「なんだよ近藤さん。にやにや笑ってよ」

「いや悪い。トシが甲斐甲斐しく世話をしているのが微笑ましくてな、つい」

「一体何処をどう見れば微笑ましく見えるんだ?」

「だって、まるで腕白な妹に手を焼かされる兄のようじゃないか」

妹。兄。
歳三は憮然とした顔で、口を引き結んだ
と兄妹のようだと言われた事が納得いかない
それは、のような小娘が妹なのが気に入らない訳ではないのだが
歳三自身何故納得いかないのか分からなかった

近藤と話ながら歩いている内に、気付けばの居る部屋の前に辿り着いていた
元々に会いに来たらしい近藤は、快活な声と共に障子を開けた

「やあちゃん!元気にしているかい?」

対照的に、はまるで闇に身を潜めるように部屋の隅で膝を抱き
警戒の目をこちらに向けていた

「む?なんだなんだ、遠慮する事はないんだぞ?この部屋は自由に使っていいんだから」

「……」

別に遠慮などしていない。
の視線がそう告げている事を歳三だけが気付いた

「入ってもいいかな?」

律儀に尋ねるのは、を女として扱っているかららしい
女子の部屋に無断で入ってはいけないのだと、歳三はこの間そう窘められた所だった

「……」

どうせは無視するだろう
そんな歳三の予想に反して、は近藤と歳三をじっと見据え

「……勝手にしろ。お前達の家だろ」

そう言い放った
愛想が微塵もない言葉に、すかさず歳三が食いつく

「ったく、可愛げのねぇガキだな。もう少し言い方ってモンがあんだろ」

「まぁまぁ、いいじゃないかトシ」

「近藤さんっ。あんただって少しは怒れよ!」

声を荒げる歳三に構う事なく、入室の許可を得た近藤は大らかな態度でに近付くと、腰を落として弾んだ声でしきりに話かけていた
途中、頭を撫でようと伸ばした手をに払い落とされていたが
それすらも元気な証拠だと笑っていた

とても自分には出来ない態度だと、歳三は思う
所詮近藤とは器の大きさが違うのだと、卑屈にもなってしまう
歳三は自分より近藤が先にの名前を聞き出してしまった事を密かに気にしていた

「そうだ、総司にはもう会ったかな?」

「……総司?」

ほとんど近藤の話を無視していたがぴくりと反応した

「君と同じ位の歳だから、仲良くなってくれると嬉しいんだがなぁ」

「……ああ、あいつか」

苦々しい顔をしたが、一瞬こちらを見た気がした
問いかけるように歳三が見つめ返したが、視線は何も答えずに去っていった




「総司と何かあったのか?」

夜。床の用意をしてやりながら、歳三は相変わらず部屋の隅で闇と同化しているに問いかけた
闇の中のの表情は分からないが、躊躇う気配がある
ややあって、返ってきたのは問いだった

「お前、あいつに嫌われてるのか?」

「あいつって……総司の事か?」

闇の中で、頷く気配
歳三は少し考え、言葉を選びながら答える

「嫌われてるってえより、目の敵にされてるっつーか」

歳の離れた総司が、近藤を巡って歳三を面白く無いと思っている事は知っている
だが、嫌われているのとは少し違う

「色々、複雑なんだよ」

結局、答えを濁してしまった
こんな返答でが満足したのかは分からないが、しばらくして再び闇から声がした

「あいつ、お前は凄い人間だと言っていた」

「は?」

「犬や猫じゃなく女の子を拾ってくるなんて流石だ。と笑っていた」

ああ、そういう事か
どうやらを連れ帰った嫌みをわざわざ言いにきたようだ

「しょうがねぇ奴だな」

苦笑混じりに呟くと、何故か苛立った声が返ってきた

「何を笑っている!お前、侮辱されたんだぞ!?」

「侮辱って、んな大袈裟なモンじゃねえだろ」

総司の嫌味に対する免疫は出来ているるもりだ
もう、一々腹を立てる気は起きない
だが、は違う
闇の中からようやく姿を現したは、隠しもしない怒りを漂わせながら
歳三の前に立ち、睨みつけて来た

「侮辱だ!お前は私を助けただけなのに、あんな事を言われる筋合いなんてないだろ!」

「……お前な、助けて貰った自覚があんなら、もう少し素直に世話になってろよ」

の怒りに圧倒されつつも、さりげなく文句を言ってみる

「う、うるさい!今そんな話はしてないだろ!」

言って、気まずそうに目を逸らし
歳三が用意していた布団にどっかと腰を下ろした

「……まぁアイツも姉貴と離ればなれで寂しい思いしてるからな。俺らに甘えてるつもりなんだよ、きっと」

脱線しかけた話を戻すと、逸らされていたの目が歳三を見上げた

「あいつ……姉がいるのか?」

「ああ……両親が死んじまってな。家族は姉貴だけになったんだが、色々あって離れて暮らす事になったんだよ」

「……そうか」

暗く、沈む声
迷うように瞳を伏せたがぽつりと言った

「……私にも、弟がいた」

初めて聞く、の身の上話

「素直で、可愛い弟だ。妹も居た……二人が生まれた時、私が守ると誓ったんだ」

歳三に語りかけるように、あるいは独り言のように
暗く沈んだ声で言葉を紡ぐ

「けど……私は守れなかった。弟も、妹も、父様も、母様も」

『どうして、生きてるの……?』
夢現の少女の言葉を思い出し、その意味がようやく分かった気がした
家族を守れなかったとは嘆いている
けれど、その小さな手で一体何が守れるというのか

ふつふつと湧き上がって来る原因不明の怒りを誤摩化すように、歳三はそっと手を伸ばした
他人に触られる事を激しく嫌うに当然はねつけられると思っていた手は、すんなりと頭に到達した
今更ながら戸惑いつつも頭を軽く撫でてやる

「……もう、寝ろ。油が勿体無い」

安易な同情よりも、まだましな台詞だと思う
は夢から覚めたように顔を上げ、歳三を見上げた
頼りない灯火に照らされたの真っ直ぐな瞳
いつも歳には不相応な大人びた瞳をしているが、いつもとは違う
迷子の子どものような、戸惑う瞳

「っ……」

耐えきれずに歳三は手を離し、顔を背ける
そうやって、に対して今まで抱いた事も無かった感情を押し留める

「じゃあな。さっさと寝ろよ」
早口で言って、立ち上がりかけた時

「待って!」

の声が歳三を引き止めた

「……なんだよ」

「お前……」

は再び目を伏せ、僅かに躊躇った後口を開いた

「お前、今日も外で寝るのか?」

「あ?……あぁ、まあな」

外……の居る部屋の前が、ここの所の歳三の寝床だ
夜中にが逃げ出さないよう見張る為で、寝床といっても布団がある訳ではなく
そもそもほとんど寝ずの番状態だ

「お前、今日はちゃんと部屋で寝ろ」

「部屋って……ここでか?」

「ふっふざけるな!近藤とかいう男の所にでも行けばいいだろ」

「行けばいいってな、誰のせいで固い床で寝る羽目になってると思ってんだ」

呆れて言えば、は一瞬言葉を詰まらせたが
すぐに憮然と言い返してきた

「そ、その私が必要ないと言っているんだ!いいから今日位はちゃんと寝ろ……お前の酷い顔を見せられる私の身にもなれ」

「……」

言い方も言葉も酷いものだったが、その中にある歳三に対する気遣いを感じた
まさかに心配されるとは思わなかった
それが、こんなに嬉しい事だとは思わなかった
少しづつだが、との距離は近づきつつあるのかもしれない

「何を笑っている。気持ち悪い男だな」

「お前な、もう少し言い方ってモンが……まぁいい。じゃ、近藤さん所行ってるから、大人しく寝てるんだぞ」

「分かっている」

こくんと頷いたに、じゃあなと声を掛けて歳三は部屋を後にした



深夜。
慎重に障子を開ける手があった
開いた障子の間から顔を出したが左右を確認する
誰も居ないと確信したは、そっと部屋を抜け出した
と、

「……何処に行くつもりだ?」

突如掛けられた声に、の小さな背が揺れる
恐る恐る振り返った
腕を組んで厳しい目を向ける歳三を見た途端、瞬発的に逃げ出した

「あっ待てこら!」

歳三も、に負けない素早さで追いつき、襟首を捕まえて引き寄せた

「はっ……放せ!」

「何処行こうとしてた?便所は逆方向だぞ?」

を部屋へと引きずりながら、唸るように言う
結局、が気になって眠れず様子を見にきてみればこれだ

、てめぇ裏切りやがったな?」

「失礼な男だな!私はお前を裏切った覚えはないっ」

「んだと?人を心配する振りして、油断させといてよく言うぜ」

「はっ!あんな言葉に騙されるなんて安い男だな。そんなだから総司とかいうガキに舐められるんだ」

「……こんの小娘っ」

悪びれもしないの態度に、流石に堪忍袋の尾が切れた
障子を後ろ手で閉め、を布団へ放り投げる
起き上がろうとしたの肩を押し戻し、振り上げられた手を掴んで歳三自身も布団の傍に横になった

「放せっ」

「放さねえよ」

抵抗しようと伸びてきた自由な方の手ももう片方の手で拘束する
これで、とりあえずの動きは封じた
もがくの足は脅威ではない

「これでお前も俺もゆっくり眠れるって訳だ」

「……」

ありったけの憎悪を向けられても、今のは無力だ
それに、の憎悪を跳ね返す程の怒りがこちらにはある

「残念だったな。諦めてとっとと寝ろ」

力比べなら歳三に分がある
歳三の手から逃れようとするの手を掴む力を加える
しばらくもがいていたはようやく抵抗は無駄だと悟ったらしい
歳三を睨み付けた後

「……お前なんか、大嫌いだ」

にしてはあまりにも幼稚な捨て台詞の言葉を残して、ぷいとそっぽを向いた
嫌いで結構。何と罵られても、この小さな手を放すつもりはない
生きているの温もりを感じながら、歳三も瞼を閉じた





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土方さんのターン。えらく長くなってしまいました。
ヒロインの境遇を知らない土方さんにとっては、助けた少女にただ手を焼かされているという感覚しかないので、ヒロイン視点のプロローグ程の悲壮感はありません。
ので、今回はちょっと明るめです。

最後は、逃げないように手を繋いで寝るか、もう抱きしめちゃって寝るか
どっちにしようか悩んだ末に、手を繋いで寝るだけにしました。
ドリーム的には抱きしめちゃう方がおいしいのですが……。
次回は再びヒロインのターン。そして、沖田さん活躍の予感です。
よろしければ、もうしばらくお付き合い下さい☆