ノワール#20





「……ん」

すっと浮き上がるように目覚めた
周囲を見回し土方の姿を探したが、部屋の中にその姿は無かった

「土方?」

茶でも煎れに行ったのだろうか
待っていればすぐに帰ってくるのだろうが
なんとなく、一人で待つのが寂しくて
土方を探す為に、部屋を後にした

「おい、お前」

部屋を出てすぐに、目の前を通り過ぎた若い男に声を掛ける
男は、の言葉にはっとして足を止め振り返ると
妙にどぎまぎした様子でを見た

「は、はい。何でしょうか」

緊張しているのか、男の口調は硬いが頬はほんのりと赤い
そんな男の様子を気にするでもなく、は愛想笑いひとつ浮かべずに問う

「土方を知らないか?」

「は。り、陸軍奉行並は弁天台場に向かわれました」

「なんだと?」

眉を顰めたは、とほとんど接した事のないこの男にとっては
憤怒の形相に見えたのだろう、顔を青ざめ怯えた

男の話によると、土方は新政府軍に包囲され孤立している仲間を助ける為
弁天台場へ向かったという
には、一言も告げずに

「あいつ……!」

舌打ち混じりに吐き捨て、目の前の男を一層怯えさせたまま
は駆け出した

怒りで一気に頭に血が昇ったが
それ以上に、激しい不安が体を駆け巡る
どれだけ土方達が抵抗して見せても、新政府軍の圧倒的な力には敵わない
彼らの持つ西洋の武器は、鬼にとっても脅威ですらある

「はっ……はっ……」

木々の間を駆け抜けながら、は苦痛に顔を歪めた
全速力で走り続け、流石に息が上がったが原因はそれではない
早く追いつかねばと心が焦っている
でなければ、土方を失ってしまう
根拠は無い。ただの杞憂であればそれでいい

「……!」

夢中で走り続けたの視界の先に、人の姿が現れた
距離はあるが、それが馬で駆ける土方だとすぐに気付く
追いついた

「ひじか――」

安堵の思いで零れた声をかき消すように、銃声が轟いた
視線の先で、馬上の土方がぐらりと揺れる

狙撃された。

すぐに状況を理解したの、頭に昇った血が一気に引いてゆく
力なく馬上から落ちた土方へ、声の限り叫んだ

「土方ぁあ!!」




……死んだのかもしれない。
穏やかな心で、土方は思う
そして、やはり地獄へ落ちたのだ、とも

薄く開いた視線の先には鬼が居る
だから、ここは地獄なのだろう
地獄の鬼は残酷な責め苦を与えるのだと、幼い頃の話を思い出す
この鬼は、どんな苦痛を強いるのだろうか
だが、鬼は土方をじっと覗き込むだけ
それに、まるで鬼自身が責め苦を受けているかのように沈痛な表情を浮かべている

鬼の瞳から一筋涙が零れ落ち、土方の頬に落ちた

「……泣いて、いるのか?」

重い手を持ち上げ、鬼の頬に触れる
温かいぬくもりに触れ、ようやく気がつく
土方を見つめ、涙を流す鬼は地獄の鬼ではない
かけがえのない存在を断ち切ってまで土方の元へ来た、愛しい鬼――

「死んだと……思ったぞ」

怒る様な口調だったが、声は弱々しい

「俺、は……生きてるのか?」

覗き込むの顔をじっと見つめる
どうやら、の膝に頭を置いて寝かされているらしい

「普通の人間なら死んでいた。羅刹の身で助かったな」

「……そうか」

感情のない呟き
生きていて喜ぶべきなのだろうか
羅刹の人間離れした力に、何度も助けられてはいるが手放しで喜べた事はなかった

「何故、私を置いて行った」

責める声
それは、と口ごもり視線を逸らす
二人の傍には太い幹があり、周囲には薄紅色の花びらが風に舞って散っていた
見事な桜の木だ。ここは、どこなのだろう

「答えろ、土方」

見逃すつもりはないらしい
は本気で怒っている。だが、正直な理由を述べて納得してもらえるとは思えない
巻き込みたくたかった。人間同士の争いを見せたく無かった。なんて、言えない

「言いたくねぇ」

一言言い捨て、身を起こそうと体に力を入れる
途端、腹の傷に激痛が走り、土方は呻いた

「何をしている!まだ傷は塞がってないんだぞ!?」

留めようとするの手を無視し、なんとか上半身だけを起こした土方は
鼓動に合わせて痛む腹を押さえた
こんな所でのんびり寝ている暇はない
命がまだあるのならば、行かなければならない

「どこへ行くつもりだ、土方!」

立上がろうとする土方の背後で、が焦った声をあげる

「仲間、助けに行くんだよ……お前は先に戻ってろ」

「駄目だ!」

悲鳴のような叫びが、土方の耳に刺さる
次の瞬間、背後から伸びて来た腕が土方をきつく抱きしめた
背中にのぬくもりを感じる

「行くな……お前が行っても、もう何も救えない」

「……それでも、俺は行く。放してくれ」

「嫌だ!行けばお前は死ぬ……勝てぬ戦で捨てる程度の命なら私に寄越せ!」

酷い言い草だ
だが、腹は立たなかった。の腕が震えているからだろうか

「……私と生きてくれ。土方」

と、生きる
全てを捧げた夢や誓いと共に命を終えるのではなく
全てを捨てたと共に命を繋ぐ
そんな事は、許されるのだろうか

優しく手を解き、振り返る
涙で汚れた顔を見て覚悟は決まった
伸ばした手で目尻に溜まった涙を拭ってやる

「鬼の目にも涙、だな」

苦笑混じりに呟くと、すぐに目を吊り上げたが拳を振り上げた
振り下ろされた拳を両手で受け止め、そのまま自分の左胸に押し付けた
だいぶ弱ってはいるが、確かに鼓動する心臓

「この命は、今からお前だけのモンだ。、俺と生きてくれ」

夢や誓い、仲間。その全てを裏切ったと罵られても構わない
と、生きる

薄紅色の花びらが舞う中
二人はそっと、戦場から姿を消した





end



完結!長い間お付き合い下さってありがとうございました!
「ノワール」はこれでひとまず終了ですが
番外編やif話やSSLなど書きたいなと思っているものがあるので
よろしければ、もうしばらくお付き合い下さい。