緋牡丹想々 番外2
目を瞬く千鶴が、今の話を信じられないような思いで聞いているのは
手に取るように分かった
沖田が話し聞かせたは、千鶴の知るとは別人のように感じたのだろう
「驚いた?」
「え……いえ。ただ、少しさんの印象が違ったので」
「君は、そう思うかもね。僕からすれば、あの泣き虫のちゃんがちょっと見ない間に、随分生意気になってた方が驚きだったけど」
短刀を片手に、勝ち目の無い戦いに挑もうとする
あの夜の光景が今でも容易に思い出せる
同時に、初めて会ったあの日の泣きじゃくるの姿も思い出す
「……ちゃんが屯所に訪ねて来たのは、数日後だった」
少しの沈黙の後、沖田は再び回想を口にした
それはなんだか、変わってしまったを悲しみ
昔のに未練がましくしがみつくような、滑稽な響きがあって
沖田は自分自身をあざ笑った
ーー木刀のぶつかり合う音が響いている
八木邸の庭で斎藤と永倉が稽古に励んでいる音だ
それを遠巻きに見つめている、この空間に不釣り合いな姿
男臭い屯所に、柔らかいその存在は浮き立って見える
沖田はそっと近付き、相手の耳元まで背を屈めて囁いた
『ここで何してるの?』
『ひゃあ!』
素っ頓狂な叫び声を上げ、少女が慌てて沖田へ振り返ろうとし
余程焦ったのか、足を縺れさせて思い切り尻餅を付いた
沖田を見上げる少女の目にはすでに涙が溢れていて
まるで追いつめられた子犬のように震えていた
『ちょっと、そんなに怯えないでよ。まるで僕がいじめてるみたいじゃない』
『……あ……う』
『君、あの時の子だよね?僕達が助けてあげた』
こくこくと、何度も少女は頷く
沖田は手を伸ばし少女を引っ張り起こしてやる
『どうしたの?何か用?』
沖田の問いに、少女がおずおずと口を開く
だが、何かを告げる前に少女の言葉を遮る声があった
『おいおい、今の悲鳴はなんだ?』
見れば、永倉と斎藤が駆け寄って来ていた
少女の悲鳴に、稽古を中断したらしい
少女の存在に驚いた永倉が、少女をまじまじと見る
やはり少女は今にも泣きそうな様子で、永倉の視線に晒されていた
『なんだよ総司、また子どもと遊んでんのか?』
『違いますよ。何か用があって来たみたいなんだけど……』
『お礼』
意を決したように少女が口を開く
緊張で赤く染まった頬で、斎藤と沖田を交互に見る
一瞬、少女が何を言ったか分からなかったが
お礼。という言葉は「あの時のお礼をしたい」と言いたかったのだと何とか察する事が出来た
『お礼はあの時に言ってもらったよ』
『……総司、一体何の話をしている』
斎藤が首を傾げ、沖田は少し呆れた
『何って、ホラ、前に僕達でこの子を助けたじゃない。一君、もう忘れたの?』
『……ああ。そう言えば』
ようやく思い出したのか、斎藤が合点がいったように頷く
あの時ってなんだよ。と全く事情の分からない永倉に、斎藤が簡単な説明をしていた
永倉も納得した所で、改めて少女が口を開く
『ね、ねぇさんが、そんなんお礼言うた内に入れへんから……ちゃんと言うて来なさいって』
涙の滲む目を伏せる少女は、幼いくせにどことく色香が漂っていた
涙に濡れた睫毛のせいかもしれい
『それで……これ、ウチの宝物……お礼に、あげる』
懐から少女が四角い何かを取り出す
斎藤が、紙?と訝しげに呟いた
『千代紙や……』
流石に斎藤の発言が気に入らなかったのだろう
小さな声で精一杯の反論をしていた
色とりどりの千代紙を差し出す少女
可愛いと、沖田は素直に思った
この場に居る男達にとってはただの紙でも
少女にとってはかけがえのない宝。命の恩人への礼に見合う物だと思っている
そんな幼稚さと純粋さが、ただ可愛かった
『それは受け取れぬ』
率直に、けれど以外にも柔らかい声で少女に告げたのは斎藤だった
体を強張らせ、今にも涙が零れ落ちそうな瞳で見上げる少女の視線を
斎藤は静かに受け止めていた
『まぁ、そうだよな。千代紙なんてお前らには似合わねえな』
『そういうわけではない』
永倉の言葉を、きっぱりと否定する
『俺達は、すでに充分過ぎる程礼を貰っている』
『え……?ウチは、まだ何も……』
『あんたはここまで足を運び感謝を示した。俺達にはそれがなによりの礼だ』
生真面目な顔で少女に語りかける斎藤
神妙に聞き入る少女の、斎藤を見つめる視線が僅かに変化した事は
恐らく、沖田だけが気付いた
『だから、これ以上あんたが何かを差し出す必要はない』
『……あ』
やんわりと千代紙を押し返す斎藤の手が少女の手に触れ
少女の頬がぱっと色付く
面白く無い。意地悪をするつもりはないが
沖田はやや強引に二人の間に割って入り、少女に笑顔を向けた
『そうそう。今の僕達は、誰かに感謝してもらうって事が一番嬉しいんだ。君の大切なものまで受け取る訳にはいかないよ』
『う、うん……分かった』
千代紙を懐に仕舞った少女は僅かに安堵したようだった
宝物を手放さずに済んだ喜びと、感謝の気持ちを無事届けられた安心感なのだろう
どことなく、表情も明るい
『ところで、よく僕達の事が分かったね』
ふと抱いた疑問を口にする
少女を助けたのは偶然で、沖田と斎藤の間で名を呼び合う事はあっても
それだけで浪士組だと分かるものなのだろうか
『それは、ねぇさんがきっと浪士組の人達やろって言ってたから……』
『ふーん。君のお姉さんって物知りなんだね』
途端に少女の顔が輝いた
姉を褒められた事が余程嬉しかったらしい
自分の尊敬する人が評価されれば、自分の事のように嬉しい
そんな気持ちは沖田にもよく分かった
『好きなんだね、お姉さんの事』
『うん。ウチ、ねぇさんが好きや。綺麗やし物知りやし、ウチの恩人やから』
『恩人……?』
僅かに引っかかる言葉だった
姉に世話になっているという意味かもしれないが、血の繋がった者に対する表現としては
どこか他人行儀な雰囲気が漂う
首を傾げた沖田が疑問を口に出しかけた時、背後から賑やかな気配が近付いて来た
『一君達そこで何してんだよー?』
『おぅ!平助と左之じゃねえか。なんだ?巡察は終わったのか?』
やってきた藤堂と原田へ、永倉が笑顔で問いかけ
二言三言返事を返した藤堂と原田は、少女に気付くとすぐに興味深そうに目を輝かせた
『見慣れない子だな。一君達の知り合い?』
『そんなものだ』
『へぇ、禿の知り合いなんてお前等も隅に置けねえな』
『え?この子禿なのか!?』
素っ頓狂な声を上げた藤堂だけでなく、永倉や斎藤も驚いた様子で少女を見
皆の視線の中で少女は、やはり子犬のように怯えていた
『それ位、見れば分かるじゃねえか』
まるで常識を知らないとでも言いたげに、原田は呆れた声を出した
禿だったのか。それならば、ほとんどの事に説明が付く
少女の言う「姉」とは姉女郎の事だろう
島原の遊女ならば、情報に敏感なのも納得がいく
なにより、幼い割にどこか色香が漂う少女の持つ雰囲気も
少女が島原の者ならば納得だ
あの時、必死に取り返そうとしていた文は
姉が客に向けて送った恋文だったのだろう
そんな物を命がけで取り返す価値があったのかは謎だが
姉女郎の文を必死に取り返そうとしていた少女は、いじらしかった
『お前、なんて名だ?』
怯える少女を気遣ってか、屈み込んで少女と目線を合わせた原田が優しく問いかける
『……』
目の端に涙を溜めながら、呟いたその名を
沖田は心の中でひっそりと反芻したーー
「それから、ちゃんは時々屯所へ訪ねてくるようになった……彼女が訪ねてくる目的は、ほとんど皆が知ってたんだけど」
何かと理由を付けて訪ねてくるようになったが
誰を目当てにやって来るのか
知らないのは、目当ての人物である斎藤位だったのかもしれない
「目的……?」
首を傾げる千鶴に、沖田は口の端をつり上げ
教えない。と素っ気なく返した
意地悪ではなく、それを口にすればどうしても気持ちが穏やかでいられないから
沖田から答えを聞くのを早々に諦めたらしい千鶴は
何か、別の物事を思案しているようだった
真剣な表情に、思わず興味をそそられる
「千鶴ちゃん、何考えてるの?」
「あ、いえ、あの……やっと分かったかもしれない事があって」
「分かったかもしれない事?」
無言で続きを促す
「私、ずっと不思議だったんです。どうしてさんは見ず知らずの私を助けてくれたんだろうって」
千鶴とが血に狂った羅刹に襲われた夜の話か
千鶴とを尋問した時も、は泣き落としの芝居を打ってまで千鶴を守ろうとしていた
何故、そこまで見ず知らずの者を守ろうとしたのか
「でも、今の沖田さんの話を聞いて、少し分かった気がします」
「僕の話で?」
「はい。きっとさんは皆さんが大好きだったんです。だから、自分が助けてもらったように、私の事も命がけで助けてくれたんだと思います」
そうなのだろうか?
けれど、千鶴の話はどこか納得出来るものだった
一度沖田自身も漠然と感じた事がある
が命を投げ出してまで誰かを守ろうとしたのは、自分達のせいかもしれないと
だとすれば、変わってしまったと一人を責めるべきではない
沖田は曖昧に笑って、千鶴の手のひらに乗る千代紙の小箱を見つめた
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番外編その2でした。
番外編1、2共本当に最初の出会いの部分しか書けませんでしたが
今回は二つの淡い恋心が芽生えた瞬間のお話です。
佐之さんがヒロインを禿だとすぐに分かったのかは謎です
たぶん、服装とか髪型とか、そんな感じで……
佐之さんは女の子の事詳しそうなので、それ位は分かるのかな、と
とりあえず番外編はこれで一旦終了ですが
過去編は面白そうなので、また書きたいなぁ