緋牡丹想々#9
「沢山呑んで下さいね」
酒を勧めるように徳利を両手で持ち上げたが天霧に笑顔を向ける
「あぁ。ありがとうございます」
丁寧に礼を言い、天霧は盃を差し出したがが酒を注ぐ気配はない
ただニコニコと変わらない笑みを浮かべるだけだ
「……あの」
「どないしたんですか?」
「その」
盃を見つめ、視線で酒を催促する天霧
「あぁ、堪忍」
今気付いたかのようなわざとらしい声で詫びたは
平然とした態度で天霧の膳に徳利を置き、殊更にっこりと笑った
「沢山呑んで下さいね」
「……」
困りきった表情の天霧と笑顔を浮かべ続ける
やがて、諦めたため息を吐き出した天霧が盃を膳へ戻した
「……やはり、怒っているのですね」
「さぁ、なんの事やろ?」
あくまではしらばっくれる
「……私を恨みますか?」
「……」
は笑みを消し、ただ無言で天霧を見つめた
天霧はその無言を肯定だと受け取ったらしい
「やはり今日は来るべきでは無かった。不愉快な思いをさせてすみません」
「ま、待って天霧さんっ」
腕を掴んで引き止め、膝を立てて立ち上がりかけた天霧の瞳を上目で見つめる
天霧の瞳に怒りは無く、何かを悲しむような憂いだけがある
は天霧の腕を掴んだまま、小さく息を吐き出した
「……いくらなんでも、お人好し過ぎやで。天霧さん」
天霧は何も悪くない
の行為はただの八つ当たり以外の何でもなかった
それなのに理不尽なの怒りを、天霧は黙って受け入れる
「不愉快な思いをさせてるのはウチの方や。堪忍ぇ」
心の中を読み取ろうとするように、天霧がの瞳を見つめる
優しくて厳しい天霧の瞳は、どこか斎藤と重なって見え
の胸が僅かだけざわついた
「もういじわるせえへんから、帰らんといて?」
内心の緊張を誤摩化すように、わざと媚びた声で言う
こんな事だけはどんどん上達していく
女郎として生きてゆくには必要な事とはいえ、少し悲しい
天霧はすっと視線を外し、再び元の位置に腰を下ろした
は徳利を持ち直し、置膳の上に置かれた盃に酒を注いだ
「……ウチは、天霧さんの事怒っても恨んでもないよ」
「けれど、君は新選組と親しい。彼らを負傷させたのです、恨まれる覚悟は出来ています」
「せやから、恨んでへんって」
生真面目な天霧の言葉には苦笑する
確かに、池田屋で天霧が藤堂を負傷させたと聞いた時
とても悲しかった
けれど、それは単に藤堂が負傷したからだけではない
「新選組のみんなは……ウチにとって大切な人達や。傷ついて欲しくない。けどな」
一旦言葉を区切って、は徳利を抱きしめるように両手で包み込んだ
「天霧さんも同じ位大切な人や……だから、大切な人同士が争うんは悲しくて怖かった」
の世界は狭く苦しいものだった
望まない人生を嘆いた事もある
けれど、が全てに絶望しなかったのは大切な人達の存在があったからだ
新選組と天霧。どちらも大切な存在で
だから、そのふたつが争い合うのが悲しかった
彼らが立場上敵対しなければいけないのは理解している
池田屋の一件以後も彼らは対峙し、そしてこれからも刃を交え合うのだろう
敵同士である限り、永遠に
それでも、天霧が新選組の誰かを傷つけるのも
新選組の誰かが天霧を傷つけるのも嫌だとは思う
静かにの言葉を聞く天霧の瞳には、やはり悲しむような憂いがあった
ささやかな沈黙の後、そっと天霧が口を開く
「私は、君に想ってもらえる程の者ではありません」
「それはウチが決める事や。天霧さんが嫌がったって変わらへんよ」
「困りましたね」
本当に困り果てたように眉尻を下げ、天霧が穏やかに笑う
けれど、が微笑み返すより先に天霧は笑みを消し去った
「、君は心根の優しい人だ。けれど、その優しさは早々に捨てた方がいい」
「……分かってる」
「これからも我々と新選組は刀を交える事になるでしょう。我々と新選組、その双方に心を砕けばそれだけ君が苦しむ事になる」
「せやから、分かってるって」
「……出来れば、君にはこれ以上新選組に関わって欲しくない」
思わず反発の言葉が口をつきかけて、は口を固く閉じて言葉を飲み込んだ
天霧がそう言うのも理解は出来る
妹のように可愛がっている女が敵対している相手に付くのは不愉快だろうし
は鬼ではないが、その立場は限りなく鬼の方に近い
「彼らは危険です。彼らの闇を知ってしまえば、君の命に関わる」
闇。新撰組の事を言っているのだとすぐに察しがついた
天霧の警告は尤もだが、新撰組の存在があるからこそ関わらずにはいられない
それに、天霧の警告はもう手遅れなのだ
は申し訳ない気持ちで、天霧に詫びた
「堪忍ぇ天霧さん。その警告はもう手遅れやわ」
一瞬の間を置いて、の言葉を理解した天霧が大きく目を見開く
「“新撰組”の事を調べてる時、血に狂った”新撰組”に会うてしまったんや……で、副長さん達に助けてもらった」
「なんですって!……じゃあ」
「もちろん、あの人達はウチが“新撰組”を調べてる事は知らへん。だから、まぁこうやって生きてるんやけど」
少しおどけて言ってみたが、天霧は余計に重い雰囲気を纏うだけだった
肩を落とした天霧は深く息を吐き出した
「……ならば、最近君の元へ頻繁に隊士が通っているのは」
「そうや。一応の、監視?」
また、一際深い息が吐き出された
「全く、君月は何をしているんですか。君にそんな危険な事をさせるなんて」
「ねぇさんは関係ない!ウチが志願した事や……それに、ねぇさんには“新撰組”に会った事はまだ言うてへんし」
ついに天霧は頭を抱えて沈黙してしまった
俯いた顔を覗き込みながら、畳み掛けるようには言葉を紡いだ
「この事、ねぇさんにはまだ内緒にしててな?な?な?天霧さん」
「……」
「ほらっ指切り指切り」
天霧の手を掴んで、無理矢理小指を絡める
一方的な約束だが、天霧なら無下にはしないだろう
「……君はちゃんと事の重大さを理解していますか?」
「ちゃ、ちゃんと理解してまーす」
軽いものいいに、顔を上げた天霧が厳しい目を向けた
は誤摩化すように、天霧の盃を酒で満たし
自分の盃にも酒を注いで一気に飲み干した
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長らくお待たせしてすみせんでした!
過去回想の番外編から本編に戻って来て第一弾天霧さんのターンでした。
新選組側だけでなく、密かに鬼側とも交流があったヒロイン。
元々千姫側の子なので、どっちかと言うと立場は鬼寄りなのです。
ちなみにちー様とは面識がありません。
天霧さんの戦友絵巻で「君月」って呼んでて、それが凄く良かったので
ここでも呼んでもらいました。
次はそろそろ山南さん事件辺りです。