緋牡丹想々#4





「そ、そんなの駄目です!」

悲鳴のような叫び声
驚いて、口を半分開けたままのへ向き直った少女は
今にも泣きそうな目でを睨みつける

「死んでも構わないみたいに言わないで下さい」

「あ、あのな……これは」

「誰も悲しまない、なんて言わないで下さい!私は悲しいです!」

大人しく怯えているだけの少女だと思っていたにとって
反乱ともとれる少女の真剣な態度に戸惑う
が油断している隙に、少女は土方らに振り返り
震える声を絞り出した

「わ、私も見ました!この方を同じものを見ました!」

「あ、こら!」

慌てて止めようとしたを振り切り、少女は尚も懸命に言葉を紡ぐ

「けど、私誰にも言いません。約束します!」

「そんなん信じて貰える訳ないやろ!もう、折角あんただけでも助かる筈やった のに」

「で、でも、あなたが殺されてしまうかもしれないのに……」

例えが殺される結果になってしまっても、それは少女の責任ではない
だから、気に病む必要はないのに
涙ぐんだ少女には何故か言えなかった

「……で、結局二人とも見たのか?」

言い合う二人に呆れた声で原田が問う
さっきからが必死に作り上げてきた同情的な雰囲気は、かき乱された空気の 所為で綺麗に無くなっている
台無しだ。と胸中に呟いたは、観念した表情で原田に向き直る

「見た……」

「それでは、やはり二人とも解放するわけには行きませんね」

穏やかなだが、有無を言わせぬ山南の声
二人の少女は言葉を詰まらせる

「残念でしたね、ちゃん。途中までは出来の良い芝居を見ているようでとて も良かったのですが」

「それは……おおきに」

にこりと山南に微笑まれ、は引き攣った笑みを返す
やはり、山南には芝居だと看破されていたようだ

「けどよ、ここまで女に庇われるなんて情けねぇ男だな。お前」

「え?」

少女に向けた永倉の呟きに、少女が疑問を返す
まさかとは思うが、永倉は気付いてないのだろうか。とは訝しげな目を向け る

「仮にも駆け落ちしようとした仲なんだろ?愛しい女を庇うのが男ってもんだろ うが」

やはり、完全に少女が男だと勘違いしている
更に永倉の中では、と少女は駆け落ちしようとしていたらしい

「あのなぁ永倉さん。その子、おなごやで」

「……は?」

口を開こうとした少女より先にが真実を告げると
案の定永倉は目を点にして固まった

「女?」

「そうや。なぁ?」

「……はい。一応」

少女がこくりと頷くと、室内がざわめいた
その反応から察するに、永倉だけでなく、藤堂と近藤も完全に男だと思い込んで いたようだ

「ちゃんと気付いてた人もおったみたいやけど。黙ってるなんて、いじわるやね 」

非難がましい視線を送ってみても、土方は動じない

「男だろうが女だろうが、性別の違いは生かす理由にならねえだろ」

「せやけど、若いおなごが男の格好をしてるんやで?なんか深い理由でもあるん やないの?」

「……言われなくても分かってるよ。おい、お前」

土方に呼ばれ、少女は肩を跳ねさせた
威圧感たっぷりの低い声に怯える気持ちはもよく分かった
かつての自分を見ているような、複雑な心持ちで静かに見守る

「洗いざらい、全部話せ」

「……はい」

返事と共に頷いた少女が恐る恐る口を開く

「私は、雪村千鶴と言います――」

雪村。
その名を聞いたは思わず漏れそうになった声を慌てて飲み込んだ
まさか、と思う。だが、雪村という姓は何処にでもあるものではない
もしも、の知っている雪村だったとしたら……
そんなの推測を裏付けるような少女……千鶴の話にいつの間にか神妙な面持 ちで聞き入っていた

千鶴の住まいが江戸であるという事
音信不通となった父親を探しに京までやってきた事
そして、その父親の名は……

「父様は、雪村綱道という蘭方医で――」

やはり、あの雪村だったと確信した
驚きと動揺で皆が押し黙っている空気の中、鋭く注がれる視線にようやく気付い た
慌てて顔を向けると、まるで秘密を暴きだそうとするような容赦ない視線とぶつ かった
視線の主が主だけに、何か悟られたのではないかと内心ひやりとする

「……沖田さん、どないしたん?そんな怖い目ぇして」

努めて普通に声を掛ける
沖田は僅かに視線の鋭さを和らげたが、声は先ほどのように刺々しくそっけない

「別に?君があまりにも真剣にあの子の話を聞いてたから、見てただけだよ」

「そう……」

「おい、聞いてんのか?」

不機嫌な土方の声に、会話は中断された

「堪忍。ちょっと聞いてへんかった」

「ったく。お前はもう帰っていいって言ってんだよ」

「へ?ええの?」

予想外の言葉に、思わず間の抜けた声が出る
どうやら、千鶴は新選組で保護するという話でまとまり
は釈放という事になったらしい

「よくねぇよ。しかし、流石にお前までここに置いとくワケにはいかねぇからな 」
だが。と言葉を区切って、土方はを睨んだ

「お前だから見逃したって事を忘れるな」

明らかな牽制
僅かな交流で築いた信頼関係を、口封じの道具に使うのは
どんな脅し文句より効果があった

「……約束する。あなた達の信頼を裏切ったりせぇへん」

それは、嘘ではない
けれど、一方では嘘だとも思う
きっと、もうとっくの昔に新選組を裏切っているのだから

「お前には定期的に監視を送る。もし不審な動きを見せたら……分かってるだろ うな」

そこまでしなくても喋る気はないが
が島原の女だという以上、反幕府勢力と顔を会わせる機会は多々あるのだか ら
監視を寄越す必要があると土方は判断したのだろう
それに、にとっても悪い話ではない

「それは、楽しみやわ」

緊張感のないの言葉に呆れつつ、土方は疲れた声で斎藤を呼んだ

を送ってやれ」

「了解しました。……行くぞ」

斎藤に先導され、素直に従う
部屋を出て行く間際、視線を合わせた千鶴はやはり少し不安そうだった
何か一言、声を掛けたかったが
立ち止まった途端に、斎藤から咎めるような目を向けられてしまった



いつの間にか高く昇った日を、翳した手の向こうに見る
先を歩く斎藤は無言だった
と、

ちゃん」

背後から掛けられた言葉に足を止めた
足下を襲った気配を、無駄の無い動きで避けた
びん。という音と共に、一瞬前まで右足があった位置に短刀が突き立った

「忘れ物だよ」

続けて投げつけられた物を、片手で受け取る
それは、今廊下に突き刺さっている短刀の鞘だった
沖田に取り上げられていた、の短刀だ

「……ずいぶん乱暴な返し方やない?沖田さん」

ちゃん。僕はね、少し怒ってるんだ」

笑顔。けれど言葉通り怒っているのは明白だった
だが、沖田が怒る理由がには分からない

「……ウチ、なんか怒らせるような事言うた?」

「言ったじゃない。自分が何を言ったか覚えてないの?」

嘲るような声
押し黙ったままのから視線を外した沖田がぽつりと呟く

「自分が死んでも悲しむ人はいない。って、そう言ったじゃない」

「それは……」

それは、同情を誘う為の方便だ
けれど、まるきり嘘という訳でもない
を可愛がってくれる人は居る。けれど、深く悲しみ傷つく程、心からを 必要としてくれる人はいるのだろうか?

「君が死んだら僕は悲しい。だから、冗談でもあんな事言わないでね」

「……矛盾してるわ、沖田さん」

新選組がを生かしておけないと判断すれば、沖田は躊躇わずを斬っただ ろう
なのに、が死ねば悲しいと言うのか
矛盾以外の何物でもない

「確かに、総司の言葉は矛盾している。だが」

静かに沖田とのやりとりを聞いていた斎藤が
やはり静かに口を開いた
床に刺さった短刀を引き抜くと、に手渡す

「俺も総司と同意見だ。己の価値を軽々しく決めるな」

「……」

反論の言葉ならある
ただ、今口を開けば、泣き虫だった頃の自分に戻ってしまいそうで
取り戻した短刀をただ力一杯握りしめた





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沖田さんを怒らせたら怖い。