最期の嘘



「お父さま」

静かに呼び掛けると、振り返りもしない父が威厳のある声だけを寄越した。

「何をしている。お前も早く脱出しなさい」

まるで大きな背中が喋っているようだった。
父とは、いつもこんな会話だった気がする。
お互いの顔を見ず、話す声も言葉も他人同士のようによそよそしかった。

それは、一国の指導者である父とその娘ならば仕方ない事だと思う。
ONとOFFを切り分けられない生真面目な父が大好きだったし、
娘に甘い顔をしない態度は密かに尊敬できるものだった。
だから、父に反発した事は一度もない。
けれど今日はいつも何かと反発していた妹を真似て、父に逆らってみようと決意していた。

「嫌です」

初めて、父がこちらを振り返った。
驚きと困惑と怒りが混じった顔。
あたしが反抗するのも初めてなら、その言葉が意味する事も重大だったから。

「…この父に逆らうというのか」

「はい」

「脱出しないという事がどういう事か分かっているのか」

「勿論」

厳しい目が、あたしを射たが平然と受け流してみせた。

「何故…」

ため息のような呟き。怒りよりも困惑と悲しみが父の中に大きく渦巻いているようだ。

「何故、今反抗する。お前は私の考えをよく理解し、我が儘ひとつ言わない子どもだった筈だ」

「そうです。それは今も変わりません、けれど、わたくしもやはりお父さまの娘なのです。」

「…」

「最期は国を守る為に滅びたいのです」

「…」

父は、妹を逃がしたように、あたしも逃がしたかった。
生きていて欲しかった。
そんな事はわかりきっている。
けれどその願いは叶えてあげられない。あたしは生涯初めて父を裏切り…そして嘘をついた。

今あたしがここに居るのは、国の為ではなく、自分自身の為だ。
最期は、父を独り占めして、死んでゆきたい。
この気持ちは歪んだ愛情なのだろうか。だからこそ、父に嘘をついてまで本心を隠そうとしているのだろうか。

確かに父はどちらかといえば、妹を気にかけていた。
妹はあたしとは正反対のおてんばで、馬鹿正直で正義感ばかり強いから、父の手を焼かせていた。
それが、妹ばかり気にかけているように見える時もあった。
けれど妹に妬いた事はない。
妹の行動は正しい正しくないを除いて、国の為の行動だったし、それに父と共に誓ったのだ。
まだ赤ん坊の妹が、養女としてやって来た日、2人でこの幼い命を守り育もうと。
父は優しくあたしを撫でて、カガリを頼むと言った。あたしははいと答えた。

「…流石は、私の子どもだ」

長い沈黙の末に静かに父が言葉を吐き出した。

「とても誇らしい。けれど、残念だ」

「お父さま」

「お前には、カガリと共に未来を歩んで欲しかったのだ。」

あたしには、未来よりも、今現在が大事だった。
口には出さなかったけれど。

「未来は、カガリ達に託しましょう」

言って、微笑むと、父もようやく僅かな笑顔をみせてくれた。
父に寄り添い、最期の時を待つ。
今だけは、父を独占している。
その感覚に、優越感はなく、悲しくて暖かかった。