月下の花#2
変若水は、危険で不安定な薬だ
飲めば人外の力を手に入れる事ができる
けれど心までも人では無くなってしまう
生活を共にしていれば、それは嫌でも実感させられる
彼らは不安定で、雪村綱道氏が行方知れずになってからは益々手に余る存在になっていた
彼らの行動には以前以上に警戒していた
なのに、屯所から離れていた僅かな間に事は起こってしまった
犠牲者と目撃者を作るという最悪の形で
目を離してはいけなかった
特に、あんなに月の綺麗な夜ならば尚更
「沖田組長!」
慌てて呼び止めると、廊下を歩き始めていた沖田組長はゆっくりと振り向いた
「どうしたの?ちゃん。僕にまだ何か用?」
沖田組長は、公私であたしの呼び方を変える
……あたしを名前で呼ぶ時に仕事関係の話をすると、気分を害されてしまうんだけど
世間話をする為に呼び止めたんじゃないって事は沖田組長も分かっている筈
あたしは小走りに駆け寄ると、思い切り頭を下げた
「あの、先日の件ではお手を煩わせてしまいました!すみませんでした!」
「先日の件?」
恍けるような言葉、けれど目があまり笑ってない。正直怖い
これは不逞浪士と斬り合いになる時より緊張する空気だ
「あの、先日の失敗を発見し処理して頂いたと聞きました」
あくまでしらばっくれる沖田組長に謝罪の理由を告げる
隣に立つ雪村千鶴が何処まで事情を把握しているのか分からないので
なるべく詳細は伏せて
ああその事、とこれまたわざとらしい沖田組長が
のんびりとした笑みを浮かべた
「別に謝られる事じゃないよ。だいたい、アレを処理したのは一君だしね」
「で、では、斎藤組長にもきちんとお詫びしておかないと」
「その必要はないんじゃない?」
「け、けれど……」
「新撰組」隊士の監視と、血に狂った彼らの処理に当たるのはあたしの役目だ
それを、どんな理由があっても幹部の方々に任せてしまっていい筈がない
焦るあたしを、沖田組長は醒めた目で見つめた
開いた口から出た声も、どこか呆れているような冷たいものだった
「あのさぁちゃん。君、いつからそんなに偉くなったの?」
「え……?」
「アレに関して君は全責任を負える程の立場じゃないっていう意味。分からないかな」
「……」
厳しい言葉。けれど事実だ
狂った隊士の処理をあたしがしているのは、同じ部隊に所属するからであって
いわば成り行き上、あたしが買って出ているだけだ
沖田組長の言う通り、偉そうに責任を負える程の権限は与えられていない
言葉に詰まってしまったあたしに
沖田組長がふ、と目元を和らげた
「だいたい、あの時君は人使いの荒い土方さんから調査を頼まれてたんでしょ?隊務中なら仕方ないじゃない」
「……けど」
「しつこいよ。そんなに僕に怒られたいのかな?」
低くなった声に思わず竦み上がる
何故か、隣の雪村千鶴も一緒に竦み上がっていた
黙り込んだあたしを満足そうに眺めると
沖田組長はにこりと笑った
「そういう事だから、もうその話は二度としないでね」
「は、はい……」
「じゃ、僕はもう行くから、その子の事宜しく」
もうあたしの返事なんて聞くつもりはないらしい
さっさと踵を返して廊下を歩いて行く沖田組長の背中を見送りながら
思わずため息が漏れた
「あ……あの、大丈夫ですか?」
隣から恐る恐るといった小さな声が問いかけてくる
大丈夫か。と問われても、一瞬検討がつかなかった
何も答えずぽかんと見つめるあたしに、雪村千鶴は顔を赤らめて
懸命に言葉を紡いでいた
「その、だいぶ怒っていらっしゃったようでしたので……」
「あ、ああ。沖田組長?」
「はい……」
どうやら、あたしが怒られたと思って気遣ってくれたらしい
優しいな
優しいのは父親譲りかな、なんて勝手に納得してしまう
あたしは緩く首を振って、なるべく気にしていない素振りで笑った
「ううん、あれは気に病むなって励ましてくれたのよ」
沖田組長の言葉は辛辣で、ぶつけられたままの意味を汲み取ってしまえば
とても落ち込んでしまうけれど
裏に潜んだ感情を理解すれば、不器用な優しさが見えくる……筈
彼女を安心させようとして、平和的な方向に考えてみたけれど
自信はない
沖田組長はとても難しいのだ
「た、多分ね……うん、そう思ってた方が平和だし」
「そ、そうですね」
二人で視線を交わし、ほぼ同時にため息をついた
もしかすると、彼女も同様の苦労をしているのかもしれない
そう思うと、出会ったばかりの彼女に少しだけ親近感が湧いた
そういえば、自己紹介もまだだったな
あたしは気持ちを切り替えて、雪村千鶴に向き直った
「改めて自己紹介、あたしは。女同士だし、平隊士だから幹部の方達に言いにくい事があったらどんどん言ってね」
「あ、は、はい……」
曖昧に返答する雪村千鶴にまじまじと見つめられる
大きな瞳に見つめられるのはなんだか落ち着かない
「あたしの顔に何か付いてるの?」
「あ、えっと、とても意外だったので……」
「意外?」
「女性の隊士の方もいらしたんですね」
その事か
どう説明すればいいのか。あたしは少しだけ考えてから
当たり障りの無い部分を説明した
「隊士って言っても、正規の新選組隊士っていう訳でもないんだ」
「?」
「あたしの場合、性別だけじゃなくて存在自体も秘密っていうか……表向きは存在しないって事になってるから」
存在しない隊士だからこそ、ある程度の自己判断も許されているし
時には重要な隊務を与えられる事もある
悪くはない……けれど
「そんなの……悲しいです」
深刻な暗い声に、思わず驚いた目を向けた
こちらを見上げる雪村千鶴の瞳には、言葉通りの悲しみがあった
「悲しい?」
「だって、存在しないなんてまるで……」
まるで。
そのまま雪村千鶴は沈黙した
彼女は一体何を連想したのだろう
仲間斬られ、新選組の隊士であった事も何もかもを隠匿されてしまった、血に狂った哀れな隊士達?
「そ」
首を振り、思考を振り払う
「そんな深刻な顔しないでって!」
わざと明るい声を出して、手加減無しに雪村千鶴の背中を叩いた
痛さと驚きで女の子らしい叫び声を上げた彼女にニッと笑ってみせる
「別にあなたが思ってる程悲しいものじゃないから」
「けど」
「そもそも、あたし自身が望んでここに居るんだから。悲しい事じゃないよ」
それでも雪村千鶴はもの言いたげなまなざしであたしを見
あたしはそれに気付かない振りをした
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やっと2話目が書けました。
怒られ隊士では、沖田さんが一番精神的にキましたが
容赦ない沖田さんを書くのは楽しいです