月下の花#3





君を見ていると娘を思い出すよ。

優しくて、けれど悲しそうにそう言って綱道さんは笑った
彼には、時々江戸に残してきた自分の娘とあたしを重なって見えたのだろうか
だから、研究に関わるあたしの存在に心を痛めていたのだろうか
きっと、研究の事は彼女だけには知られたく無かった筈だ

けれど綱道さん、彼女は……雪村千鶴は関わってしまいました
それも、最悪の形で



「あ」

見慣れた背中を発見し、思わず声をあげてしまった
小さな声だったのに、あたしの存在に気づいたらしく、漆黒の背中がゆっくりと振り返った

か」

「ご苦労さまです。斎藤組長」

「珍しいな、あんたをこっちで見るのは」

八木邸には、副長への報告以外はなるべく来ないようにしている
こんな風に八木邸の廊下で会話をするのは、確かに珍しい

「副長は大坂に出張中だが、急ぎの用か?」

「いえ、実は千鶴ちゃ……雪村君に会いに来たんです」

「雪村?監視なら今は総司が当番の筈では?」

「あ、今日は監視では無くて……その、少し気になって」

「気になる?」

険しい声で呟いた斎藤組長が、険しい目であたしを射る
あれ?何か悪い事言ったかな

「何か、雪村に不審な所でもあるのか?」

「え?いえ、そういう訳じゃ……その、ただちょっと心配というか」

「心配はいらん。その為にも皆で監視しているのだ、逃亡の恐れはない」

……会話が噛み合ない
斎藤組長はいたって真面目に答えてくれている
どう説明すればいいか分からず、申し訳なくなって咄嗟に謝ってしまった

「すみません……あたしが心配しているのは彼女の心です」

「心?」

「京に来た矢先に大変なモノに巻き込まれてしまって……探している父親は行方不明ですし」

唯一の肉親が生死も分からない状態で
自分自身も半ば捕われの身なのだ。彼女の、千鶴ちゃんの気持ちは察して余りある

「それに、彼女が触れた闇は綱道氏も深く関わっているものです。そう思ったら、なんだか不憫で」

「誰かを思い遣るのは悪い事ではない……だが、ほどほどにしなければ命取りになもなりかねん」

穏やかな声に反して、厳しい言葉
けれど、少し安心してしまった。やはりここはあたしの居場所だと思う
誰かを思い遣る資格なんてあたしにはない。千鶴ちゃんの事ならば尚更だ
どれだけ彼女の身を案じて、心を痛めても
もし今千鶴ちゃんを斬れと命じられれば、きっとあたしは斬る事が出来るのだから

「肝に命じます」

言って、少しだけ笑って見せる
斎藤組長は何事か言いかけて、結局口を噤んだ

そこで、今更ながらふと気付く
斎藤組長と一緒に歩いているけれど、斎藤組長ももしかして

「あの。斎藤組長も、もしかして雪村君の所へ?」

「ん?……ああ」

何か、用事でもあるのだろうか
問いかけようと口を開いた時、明るい声が空気を揺らした

「話し声がすると思ったら、君も居たんだ」

襖の開け放たれた部屋から、沖田組長がひょっこり顔を出して笑っていた
いつの間にか目的地に到着していたらしい

「ご苦労さまです、沖田組長」

頭を下げて挨拶すると、相変わらず堅苦しいねと苦笑しながら
沖田組長は楽しそうに室内へ声を掛けた

「君にお客さんだよ」

呼びかけに反応して、顔を覗かせた千鶴ちゃんの頬は
何故か赤く染まっていた

「あ、あの、もしかしてお二人も今の独り言……聞いてらしたんですか?」

「独り言?」

焦った様子で言う千鶴ちゃんの言葉の意味が分からず
斎藤組長と顔を見合わせてから、首を横に振った

「何も聞こえなかったよ」

「よ、良かった……」

深く安堵した千鶴ちゃんを見、もう一度斎藤組長を顔を見合わせる
よっぽど聞かれたくない内容の独り言だったのだろうか

「夕飯の仕度ができたんだが……邪魔をしただろうか?」

遠慮がちな斎藤組長の声
なる程、夕食が出来たから呼びに来ていたのか
斎藤組長が千鶴ちゃん達を訪ねた理由をやっと理解したあたしは
とても悪い時期に来てしまった事に気付いた

「今からご夕飯だったんですね。……では、また出直します」

一人だと、夕食の時間もつい適当になってしまうから気付かなかった
また後で来ようと踵を返す

「いや、待て……」

「よ、じゃん。珍しいな、こっち来てるなんて」

斎藤組長の呟きを遮り
ぱたぱたと駆けて来た藤堂組長が、目の前でぴたりと止まった

「ご苦労さまです、藤堂組長」

「別に何も苦労してねぇって」

相変わらず堅苦しいな、と沖田組長と同じ事を言ってから
待ちきれない様子で皆を見回した

「つか飯の時間なんだからさ、早く行こうぜ。食うもの無くなっちまうよ?」

「はいっ!」

明るく返事した千鶴ちゃんを、少しだけ羨ましく思う
大勢での食事なんて久しく無い
仕方が無いとは思いつつも、部屋で一人とる食事は味気ないものだ
道場ではいつも賑やかだったから、尚更なのかもしれないけれど

「では、あたしは失礼します」

今度こそこの場を去ろうと、小さく頭を下げる

、よければあんたも……」

「せっかくなんだし、もこっちで食べていけば?」

またもや斎藤組長の声を遮り、平然と藤堂組長は大変な事を提案する
恨めしげな斎藤組長の視線には気付いていないようだ

「い、いえ……駄目です!」

驚いたあたしは、首を振って咄嗟に拒否した

「なんで?だって、も飯まだなんだろ?」

「そ、そうですけど……でも」

正規の隊士でもないあたしが、幹部の方との食事に同席して良いのだろうか
いや、良い筈がない

「たまには平助もいい事言うね。食べていきなよ、ちゃん」

提案に賛成したらしい沖田組長が背後からがっちりと
あたしの肩を掴んで前に押した

「たまにはって何だよ、総司」

「褒めてるんだよ」

「ふーん、ならいいけど」

言い合う二人は、あたしの返事を聞くつもりはないらしい
有無を言わさず押されながら歩くあたしの隣に立った千鶴ちゃんを見ると
彼女は嬉しそうに笑っていた。
ので、まぁいいか





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土方さん達と大坂出張行く話も面白そうだなと思ったのですが
皆でご飯食べるのも捨てがたい……という事で、出張には同行せず皆でご飯にしました。

「お疲れ様です」より「ご苦労さまです」の方がしっくりきたので「ご苦労さま」言いまくってますが
「ご苦労さま」は目下に言う挨拶らしいのですがどうしよう