月下の花#7





はあはあと乱れる息と早まる鼓動を鎮めるように
右手で胸元を抑える
流石に、全速力で走れば頭がくらくらする程呼吸が乱れた
けど、目的地に到着しただけでへばっている訳にはいかない

「……はぁ」

呼吸を、心を落ち着ける為の息を吐き出し
刀の柄を一度強く握ってから
あたしは、すでに異界の入り口と化したような池田屋に駆け込んだ




屋内は暗く、血の匂いと荒々しい怒声が響いている
確かに、この状況ではどこの誰であるかを判別するのは難しい
敵か味方か、下手をすればそれすらも分からなくなってしまいそうだ

あたしは、少しだけ圧倒される……大きな捕り物は初めての経験だったから

「!……な、永倉組長!」

ようやく見知った顔を見つけて駆け寄る
たった今敵を斬り伏せたらしい永倉組長は、あたしに気付くと
嬉しそうに笑ってくれた

「おぅ、か。こいつは心強い助っ人だな!」

あたしがここに居る事を全く疑問に思わない様子が嬉しい
尤も、疑問に思う程の余裕が無いのかもしれないけれど
すぐに笑顔を消した永倉組長は、真剣な顔でちらりと二階を見た

「上の階に総司が居る。悪いが、そっちに行ってやってくれねぇか?」

「はい!」

短く答えて、すぐに階段へ向かい
血で滑る階段を駆け上った


ぶつかりあう鉄の音
互角の戦いを繰り広げる光景に、あたしは息を飲む
沖田組長と互角に斬り合っているのなら、敵も相当な剣術の使い手だ
……いや、沖田組長が圧されている?

二階に駆け上がってすぐに見せつけられた激しい戦いに圧倒され
あたしの足は部屋に踏み込む事を躊躇っていた



どさり。
沖田組長が倒れ、激しく咳き込んだ
体勢を崩した隙を狙われ、敵に胸を蹴り付けられたのだ
咳き込む沖田組長の口から零れた血を見た瞬間
あたしは反射的に、滑り込むように
沖田組長と敵である紅い瞳の男の間に割り込んだ
抜いた刀の切っ先と共に、男を睨み据える

「…………ちゃん?」

あたしの姿をみとめた沖田組長が呻くような声をあげる
良かった。意識はあるようだ

「総長の命で、加勢に参りました」

視線は男を睨んだまま、沖田組長に告げる
男は無防備といえる程の構えなのに、圧倒される
冷たく見下ろす男の紅い瞳のせいかもしれない

「御用改めだ。無駄な抵抗は命取りになる」

相手に飲まれないよう、あたしはわざと口調を強くした

「駄目だ……君が敵う相手じゃない!」

「わ……分かってます!でもっ」

逃げるわけには行かない
一度向けた刃を簡単に下ろす事はできないし
なにより、ここで逃げるのは沖田組長を見殺しにする事と同じだ

「いいから、退くんだ君!これは……命令だよ……ゴホッ!」

「い、嫌です!」

命令違反になっても、退くわけにはいかない
そんなあたしと沖田組長のやりとりをじっと見ていた男の顔が
汚いものでも見るかのように、歪んだ

「弱き者同士庇い合うか……無様だな」

そう低く言い放った男は
まるで興味を失ったように、或は斬る価値もないと言いたげに
刀を鞘に戻し、背を向けた

そしてそのまま、近くの窓から音も無く飛び降りた

「っ!待て!」

慌てて窓辺へ駆け寄る
地上までの距離は、遠い。けれど、男の態度に挑発されていたあたしは
当然のように窓枠に足をかけた

「追うなっ……君!」

沖田組長の制止の声が聞こえた時には
あたしの両足は、窓を蹴って空中に躍り出ていた




どさりと、不格好な音と共に着地する
踏ん張った両足に痺れた痛みが走ったけど……我慢

二階から飛び降りたのは初めてだったけど
やれば出来るものだ、なんて自画自賛しながら二階を仰ぎ見ていると
前方で人の気配がして、あたしは急いで刀を構えた

先程の、紅い瞳の男がこちらに向き合い立っていた
口元に嘲るような笑みを浮かべて

「ほう、愚かな。わざわざ死ぬ為に追いかけて来たのか?」

「……死ぬのは、あなたの方かもね」

精一杯の虚勢を張る
あたしだって、相手の力量がどれ程かは分かっている
けど、どこまでも人を見下す男の態度には正直腹が立っていた

「ふん。笑わせてくれる」

鼻で笑った男目がけ、踏み込んで一気に斬り掛かる
あたしの刀は、一瞬前まで男のいた空間を切り裂いただけ
余裕を持ちながら右に飛び退いた男を、すかさず横なぎに斬る
やはり、刀は空気を斬っただけだった

「その程度で俺を殺すなどとよく言えたものだ」

「……!」

背後からの声
慌てて振り返り、眼前に迫っていた刃を刀で防ぐ
防ぎきれなかった切っ先が、あたしの頬を切り裂いた
後ろに飛んで、男との距離をとる

斬られた頬の痛みも分からない位、あたしの心臓はドクドクと
鳴り響き、うるさい

「大口を叩いた事を、後悔しているだろう?」

「……いいえ、全く」

にやりと笑って見せる。男は不愉快そうに眉を寄せた

「ならば、泣いて許しを請うまでたっぷりと可愛がってやろう」

男が片手で刀を構え直し
あたしも、刀を握る手に力を込めて男を睨み据える
張りつめた互いの空気
そこに割り込んだのはーー穏やかな声だった

「風間」

男の傍に、いつの間にか赤毛の男が立っていて
静かな目を男に向けていた
風間、それがこの紅い瞳の男の名なのだろうか

「天霧か。邪魔をするな」

風間と呼ばれた男は、赤毛の男を天霧と呼び
不快そうに男を睨む

「もう目的は果たしたでしょう。これ以上刃を交える理由はない」

「理由か、理由ならある。この愚かな人間に身の程を教えてやるのだ」

天霧という男は、困った様子で息を吐く
そして、憐れむような目であたしを見た

「こんな子ども相手にムキにならないで下さい。いいから退きますよ」

「な!こ、子ども!?」

余程あたしは心外な顔をしていたのだろう
風間は、紅い瞳を細め意地悪く笑った

「そうだな。このような子どもの相手をする程俺は暇ではない」

言うと、刀を納め

「小僧、命拾いしたな」

余計な一言を残して、次の瞬間には二人とも目の前から消えていた

「あ!ちょ、ちょっと!」

、ここに居たのか」

二人の姿を追おうとしていた背中に、声が掛かる
振り返ると斎藤組長が立っていた
その姿に、ようやく現実に戻って来た感覚を覚えた

目が合った斎藤組長は、驚いたようにあたしの顔をまじまじと見た
そうだった。すっかり忘れていたけれど
頬には風間につけられた傷があったんだ
あたしは腕で傷口の血を拭い、誤摩化すように笑った

「ちょっと、しくじってしまいました……あはは」

「笑い事ではない」

ぴしゃりと言われ、笑顔が引き攣った
傷は、恥だ。
すみません、と消え入りそうな声で謝ったあたしに
斎藤組長は大きく息を吐き出した

「怒っているわけではない……ただ」

「おーい!斎藤!」

永倉組長の呼ぶ声に言葉を切って、斎藤組長は声の方へ顔を向ける
捕り物は終わり、引き上げるようだ

「もう引き上げるのか。行くぞ、

「あ、いえ。あたしは後から……頃合いを見計らって帰ります」

あたしは、皆と一緒に帰れない
それに気付いた斎藤組長は、申し訳なさそうに瞳を伏せた

「そう、だったな。すまない」

「いいえ、納得してますから」

一時でも、新選組の隊士として戦えたから
それだけで充分だ

「では、傷の手当はきちんとしておくように」

「はい」

永倉組長達の元へ歩いて行く斎藤組長の背中を見送った後
あたしはもう一度、風間と天霧の消えた空間を見つめた
たった今ここで命のやり取りをした、風間という男……彼は何者だったのだろうか
夜風に晒され、彼に付けられた頬の傷がぴりりと痛んだ





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池田屋終了。
ようやくちー様の登場です!
ちー様は割と幼稚なからかい方をしてきそうです。