ノワール#12





「悪かったな、突然呼び出して」

体を預けていた鳥居から背を離す
腕を組んだまま向き合ったに、土方はいや。と小さく呟いた

「別に構わねぇが……どうした?屯所では言いにくい用件か?」

「そういうわけじゃないが、月でも見ながら……と思っただけだ」

「月なら屯所からでも見えるじゃねぇか」

む。とは口を噤んだ
土方は素直な意見を言っただけで、の言葉を深く追求する事は無かったが
首だけを小さく傾げた

「どうした?何かあったのか?」

心配しているのだろうか
どことなくいつもより物腰の柔らかい土方に
は口が重くなるのを感じた

千鶴に土方へここへ来るよう言伝を頼んだのは
もちろん、薫と共に故郷に帰る事を伝える為だ
なのに、そのたった一言を紡ぐ事が出来ない

しばらく沈黙していたは、誤摩化すように意地の悪い笑みを浮かべた

「そういえば、あの後風間とは仲良く出来たか?」

「あぁ?」

途端に不機嫌な顔と声になった土方
の去った後、一触即発になったのであろうと想像するのは容易かった

「その顔からすれば、随分楽しかったようだな」

「冗談じゃねぇ」

からかい甲斐のある男だ
普段から他の者にからかわれ、遊ばれているのではないかと
は少しだけ土方を哀れに思った

「あの男に何か言われたのか?」

「別に、何も言われてねぇよ」

恐らく何か言われたに違いない
人を見下している風間の事だ、土方を嘲って挑発でもしたのだろうか

「まぁいい。お前達のやりとりに興味は無い」

「酷ぇ物言いだな、あんたが原因だっつうのに」

「私が?どういう意味だ」

「言いたくねぇ」

不機嫌に言い切った土方に、堪えきれず小さく吹き出して笑ってしまった

「なんだよ」

「いや、お前も案外ガキだなと思っただけだ」

眉を寄せる土方を見て、更に笑みが零れる
先日ガキだと言われた仕返しが果たせ、いつになく楽しそうに笑う
黙って見つめていた土方が小さく声を上げた

「ん?」

顔を覗き込まれ、妙にどぎまぎとする

「な、なんだ」

緊張しながら抗議混じりの声を出す
整った土方の顔が、神妙な表情を浮かべた

「お前……紅差してんのか?」

気付かれた。いや、気付いて欲しかったのだが
いざ指摘されてしまうと恥ずかしく、頬に熱が集まる
流石に夜の暗さでは、頬の赤みまでは見えないだろう
そう開き直ってみたものの、土方の顔をまっすぐに見る事は出来ず
視線を逸らしながら言い訳を口にする

「別におかしな事じゃないだろう。私だって一応、女だ」

「おかしいとは言ってねぇだろ、珍しいとは思ったが」

紅は薫の持っていたものを勝手に拝借した
化粧すらした事のないにとって、紅ひとつでも大変な冒険だった
それを知ってか知らずか、しばらくの口元を注視していた土方は
まぁまぁ似合う。と微妙な評価を出し
そんな評価でも、ひとまずは安堵できた

「……最後位はお前にも女らしい所を見せようと思っただけだ」

「最後?」

安堵ついでにうっかり口から滑り出た言葉に、土方は再び眉を寄せる
こうなってしまえば、後は本題を切り出すしかない
は一度息を吐き出してから、土方をまっすぐに見つめた

「故郷に……帰る事にした」

予想外の言葉だったのだろう、驚きで土方は瞳を丸くしたが
間の抜けたその顔を面白がって笑う余裕はには無かった

「帰るって、なんだよ」

「そのままの意味だ。元々、妹と弟に再会すればすぐにでも皆で帰るつもりだった」

故郷、といってもそこには出迎えてくれる者も
懐かしい我が家もない
あるのは、人に滅ぼされた小さな廃村だけだ

それでも、力を合わせて家族三人だけが暮らせる家を建て
静かに暮らすのがの願いだった

「千鶴は?あいつも連れて行くのか」

「いや……千鶴はお前達の元に残りたいそうだ。私としても正直今はそちらの方がありがたい」

「あんたらしい台詞じゃねぇな。妹と暮らしたかったんだろ」

「私らしくない、か。そうかもしれないな」

浮かべた笑みが自嘲を含んでいる事に気付いたのか
を見る土方の瞳には困惑の色があった

「一体、どうしたっていうんだ?」

「……先日の襲撃。お前を襲うよう命じたのは、薫だ」

「な……」

絶句した土方を静かに見据える
真実を告げた事に戸惑いはあったが、後悔はしなかった

「薫は……あの子はとても不安定だ。私は、それを知っていた筈なのに……」

守っているつもりだった
けれど、結果として薫を追いつめてしまった

村が滅ぼされた時、村も両親も薫さえ守れなかった事をずっと悔やんでいた
だからこそ、今度こそ、守りたい

「弟の為に、千鶴は置いて行くのか?」

「嫌な言い方だな」

率直な質問に、は苦笑した
土方の言い方では、は酷い姉だ
だが、きっとそれが真実だと心のどこかで呟いた

「だがお前の言う通りだ。今回の一件で思い知らされたよ、私は酷い姉だ。たった二人の肉親すら守る事が出来ない」

千鶴と薫、にとっては二人とも同じように大切な存在だ
それでも二人を同時に守る事は出来ない

「……あんまり独りで背負い込むな」

「気休めはいらん。それより土方、お前はこれからも千鶴を守ってくれるか?」

「いちいちあんたに指図されるまでもねぇよ」

「そうか。それを聞いて少しだけ安心した」

土方の傍なら、千鶴は安全だ
自然にそう思う事が出来た
同時に、土方の傍にいられる千鶴がほんの少し羨ましいとも思う
それらの思いを振り払う様に緩く首を振った
ようやく組んでいた腕を解いた

「言いたかったのはそれだけだ。じゃあな」

「お、オイオイちょっ……待て!」

突然慌てた土方に腕を掴まれ、は不愉快そうに振り向いた
加減を知らないのかと文句を言いたくなる程の力だった

「なんだ」

迷惑だと言わんばかりの表情

「なんだ、じゃねぇだろ?わざわざ呼び出しといて言いたかったのは妹の事だけか?」

「……」

確かに、千鶴を頼む為だけに屯所の外まで呼び出した訳ではない
それでも、いざ呼び出してみた所で真面目に本音を伝えられる程は素直になれない
土方と会えない事に一抹の寂しさを抱いているとは、口が裂けても言えそうになかた

「なんか他に言いたい事、あるんじゃねぇのか?」

「……」

が言いたい事を、土方も聞きたいと思っているのだろうか?
どうせ最後なのだ。素直になりたい
だが、結局口に出せたのは可愛げのない言葉だった

「例えば?お前はなんと言って欲しいんだ」

土方は言い淀んでいたが、腕を掴む手をそのままに顔だけ背けて呟いた

「例えば……本当は俺に引き留めて欲しい、とか」

「……」

馬鹿な考えだと、笑い飛ばす事が出来なかったのは
少なからずその言葉が当たっていたからだ
故郷に帰ると決めたのは
なのに、少しだけ引き留めて欲しいとも期待している
矛盾の底にあるのは、土方に対する未練なのかもしれなかった

「……引き止めて欲しいと言えば、お前は引き留めてくれるのか?」

ひねくれた質問をする。だが声に皮肉は混じっていない
答えを待つに、土方は緩く首を振ってみせた

「いや、引き留めねぇ。俺じゃあんたを引き留められねぇって分かってるさ」

「お前らしくない弱気な言葉だな。引き留めるつもりがないならさっさと手を放せ」

「分かっちゃいるが、足掻いてみたくなるのが人間ってもんだ」

腕を引き寄せられ、不意に落とされた口付けを避けられなかった
かろうじて唇が触れているだけの、僅かな口付け
ほんの一瞬で唇を離した土方に見つめられ
の心は動揺を飛び越え、却って静かに凪いでいた

「……これが、お前なりの引き留め方なのか?」

土方は無言だったが、それは肯定を意味しているのだろう
触れただけの唇にはまだ感触が残っていて、は悲しくなった
その悲しみは、土方に対する感情の名がおぼろげな輪郭を見せ始めたからだった

「こんな卑怯な方法で私を引き留められると思うな」

「分かってるよ、それ位」

突然人の唇を奪っておきながら、ふてぶてしい態度の土方を睨みつける
睨んだ、つもりだった

「お前は最低な男だな……今ならまだ間に合うと思っていたのに」

吐き捨てるように呟き、土方の胸元を掴んだ
力任せに引き寄せると、今度はの方から唇を重ねた
土方への未練や、輪郭を見せ始めた感情
それら全てを押し付けるように





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キスしたいだけの話になってしまった。