ノワール#13





僅かばかりの荷物でも纏めてしまうと、室内は妙に閑散としてしまった
いつの間にか“住み慣れた我が家”になっていたらしい
そう気付いたは、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになった

当初は早々に京を引き上げるつもりでいたから、適当な空き家を選んだのだが、思いの 他長く居着く事になった
長ければそれだけ、情が移る
だからだろうか、がらんとした住処を前に珍しく感傷的になってしまうのは
は小さくため息を吐き出して、違うと断じた
住処を離れる事に対しての寂しさは確かにある
だが、今の胸を占めている寂しさや未練はもっと別のものに向かっている

無意識に、指先が自分の唇をなぞった
一瞬触れただけの温もりなんてすぐに忘れ去ってしまった
残っているのは触れたという事実だけ

「姉様」

背後から声を掛けられ、我に返ったは慌てて唇から指を離した
なんだか後ろめたくて、わざと明るい笑みで振り返る

「どうした?薫」

「本当に、二人だけで行くの?」

「なんだ、姉様と二人じゃ不満か?」

の問いに薫は緩く首を振った

「姉様と二人は……嬉しい。でも、本当は千鶴や土方と一緒に居たいんじゃないかって ……思って」

薫は本心からそう思っているのだろうか?
だとすれば、とんでもない誤解だ
不安そうにの様子を窺う薫をしっかりと見つめ返す

「私は薫と共に居たい、それが本心だ」

「本当?じゃあ、指切りして……ずっと俺の傍に居るって」

差し出された小指に小指を絡める
それでようやく薫は安心できたらしい。ふっと肩から力が抜けた

「これからは、俺が姉様を独り占め出来るんだ……」

「何を言っている。私がお前を独り占めするんだ」

肩を抱き寄せ、頬をピタリとくっつける
一瞬たじろいだ薫も、控えめな笑顔を見せた

「姉弟愛も度が過ぎれば不気味だぞ」

水を差す一言に、は薫に身を寄せたままじろりと睨みを利かせる
招かれざる客とはこのような輩を指すのだと毎回思うが
すっかりその立場が板についてしまった風間が戸口で喉を鳴らし笑っていた

「私達の絆など、お前には解らないだろうな」

「ふん、解りたくもない」

何故かその一言が強がりに響き、僅かばかりだが気が晴れた

「それで?今日は何の用だ」

気分が良いついでに、用件を尋ねてみる
それに、何を言ってきたとしてももう風間と会う事はない
風間は言葉を選ぶように沈黙した後、短く呟いた

「見送りだ」

必要ない。即座にそう返答しそうになったが、思い直す

「それは、西の鬼の頭領としてか?それとも風間千景個人としてか?」

風間だけでなく、口にした本人も驚く言葉だった
そんな事を尋ねて、一体何になるのか
風間は再び沈黙したが、今度は自信に溢れたいつもの笑みを浮かべた

「案外可愛気があるではないか。俺個人の意思で貴様達の見送りに来たのだと、そう期 待しているのか」

「別にそんな期待はしていない」

「残念だが今日は西の鬼を統べる者として、東の鬼を統べる者へ健闘をたたえにやって きたに過ぎん」

「東の鬼を統べる筈だった者だ。言葉は正確に言え」

はあくまで次期頭領となる予定だっただけだ
雪村が滅ぼされ、東の鬼が散り散りになった今、東の鬼を統べる者という表現は相応し くない

「故郷に帰り、再び東の鬼を束ねるのではないのか?」

「そんなつもりはない」

意外そうな顔をした風間が、そちらの方が都合が良いと呟いたのをは聞き逃さなか ったが
そろそろ相手をするのも疲れてきたので、気付かない振りをした
その代わり、せっかくだからと一言釘を差しておく事にする

「風間、ひとつ私と約束しろ」

「何だ」

「新選組には二度と関わるな」

風間だけでなく、薫もを鋭い目で射た
は風間だけをまっすぐに睨み付ける

「薩摩に協力しなければならないお前の立場は多少分かっているつもりだ。……だがな 以前の襲撃のように、お前個人の判断でちょっかいを出すな」

「……なる程、余程土方が大切らしいな」

皮肉気な言葉に、は眉を顰める
その名を今は聞きたくない

「新選組には千鶴が居る。千鶴をこれ以上お前と関わらせたくないだけだ」

「そういう事にしておいてやろう」

大仰な態度に、斬ってやろうかと思う
実際、薫の腰の太刀まで手が伸びたが寸前で留めた

「必ず約束しろ」

念を押す。風間の意味深な笑みをこれ以上見ていられる程は寛大になれない
薫を促し、風間など無視してさっさと出て行こうとしたが
戸口を塞ぐように移動した風間に阻止された

「どけ」

「貴様の願いを聞いてやる。どちらにしろ、新選組に構っている暇などもうない」

「どういう事だ」

「潮時だという事だ。準備が整えば人間共の前から姿を消す」

少々意外な計画ではあった
だが当然かとも思う。元々西の鬼が人に協力しているのは過去に受けた恩の為だ
潮時だという風間の言葉も尤もなのかもしれなかった

「そうか……」

呟くへ、風間が一歩歩み寄る

「寂しそうだな、だが案ずるな。いずれ落ち着けば、貴様を迎えに行ってやる」

しなやかな指先がの顎を捉える
間近に迫る瞳を、勝ち気な瞳で迎え討つ

「そしてその時は、貴様を」

「勝手な事ばかりべらべらと喋るな」

言葉を遮り、されるがままだったが風間の手を叩き払った
迷惑極まりないといった様子で、風間との距離を取る

「迎えになど来るなよ。お前の顔など二度と見たくない」

「ふん。照れずともよい」

おめでたい男だと心中で毒づいてみる
風間が戸口から離れている隙をついて、と薫は素早く表へ脱出した
言いたい事は言い終えたのか、風間はそれ以上引き止めようとしなかった

数歩歩み、何気なく顔だけで振り返る
戸口に背を預けた風間と目が合ったので、慌てて顔を戻す

迎えに来る。そんな台詞もあったのかとしみじみ思う
できることなら、別の者から聞きたかったと思いかけて
緩く首を振り思考をかき消した
今は何を思ってみた所で虚しいだけだ

薫がもの言いたげにを窺いながら隣を歩いているが
気付いてやれる余裕が今のにはない

幸いにも晴れ渡った青い空の下、まっすぐ前を見据えては歩く
胸に、一抹の未練を残して





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微妙に最終回っぽいですが
まだまだ続きます。