ノワール#16





正直、この状況が不思議で仕方ない
あれだけ憎んでいた西の鬼と共に旅をしている
……しかも、人間に会う為に

昔のならば、考えられない状況だ
だが、決して西の鬼……風間に気を許したわけではない
道中、風間との会話は皆無に等しく
今もお互い無言のまま、黙々と山道を歩いている
無駄口ばかり叩いてくると思っていた風間が大人しいのは意外だったが、有り難い
余計な神経を使わずに済むから

それにしても、風間は道案内など買って出たのか
よくよく考えればこれも不思議な話だった
鬼が人間に会う為に危険を侵して旅をするのだ
薫程激しいものでなくても、多少は阻止しようとするものではないのか
だが、いくら考えても無駄なのかもしれない
風間の考えなど、には理解できない
そう思い、それ以上考える事をやめた

と、突然風間が足を止め、一拍遅れても立ち止まる
前を行く広い背中を睨んだ

「今日はここまでにするぞ」

有無を言わせぬ物言いにムッとしたが言い返そうとしたが、木々の間から見える空を仰いで口を噤んだ
もうすぐ、雨が降る
風間もそれを察したのだろう
少し行くと廃屋があり、その日の宿はそこでとることにした



ざあざあ。思ったよりも強い雨が降っているのを壁に預けた背から感じた
廃屋とはいえ、一泊の宿として利用するには中々良いものだった
所々朽ちて穴も空いているが、雨露がしのげ
小さいながらも囲炉裏がある
囲炉裏には風間がおこした火がぱちぱちと音を立ている
しばらく火を見つめていたは、腕に抱いていた刀に目を移した

実戦的でありながら、繊細な意匠を施された刀
見つめていると、なんだか土方自身と向き合っているような気持ちになった

ふと、視線を感じ顔を上げる
囲炉裏を挟んで向こうの壁に背を預けていた風間が
いつの間にかを見つめ、口元に薄い笑みを浮かべていた
途端、不愉快さが体を駆け抜けた

「なかなか可愛い顔が出来るようになったではないか」

険しい視線で睨むには構う事なく、風間は静かに笑って言った

「今の貴様の顔は、恋する女のそれだな」

無駄口を叩かないと、有り難がった途端にこれだ
無視を決め込む事も出来たが、なんとなく黙っているのは癪だった

「……だったら、何だ」

「ほう、認めるのか?意外だな」

「今更誤摩化してどうする」

認めたくはないが、土方に対する正体不明の感情の名にはいい加減気付いている
どれだけ不本意でも、は土方に……恋をしているのだ

ふん。と風間が鼻で笑った

「愚かだな」

「なんだと?」

「人間などという愚かな存在を恋慕うなら、貴様もまた愚かだという事だ」

「……」

愚か……なのかもしれない
人は儚く、鬼とは異なる存在だ
それ以上に、人は一族を滅ぼした憎い仇

だが、けれど、ならば何故
風間は、愚かなの道案内などしているのだろうか
……違うのだろうか?
風間の目的は、道案内では無く――

は僅かに息を飲んだ
よくよく考えれば、風間が土方の元へ導くなどありえない
他に目的があると考えた方が自然なのだ
例えば……

弾かれたように立上がったが、厳しいまなざしで風間を見下ろす
不審気にこちらを見上げた顔に、強張った声で告げた

「ならお前は、何故この愚かな鬼に手を貸す?」

「それは……」

「手を貸すつもりなどないのだろう?お前の本当の目的はなんだ?
 時間稼ぎしながら説得して、私の気でも変えるつもりだったのか」

「違う」

「黙れ!」

激昂したが叫ぶと、廃屋が震えた
風間に騙されたと思うと、無性に腹が立った

「お前など……信用した私が馬鹿だった」

信用などしていなかった筈だった
なのに、裏切られたと感じるのは信用していた証で
悔しさと悲しさが入り交じった感情のまま言い捨てた
風間に背を向け、戸口へ向かう

「待て。貴様は何か誤解している」

背後で立上がる気配がしたが、無視した
誤解。そんな言葉がよく言えたものだと心の中で毒付く

「待てと言っている!」

苛立った声が近くで響き、手を掴まれた
反射的に振り返ったは間近に迫った風間を睨み上げる

「放せ!」

手を振りほどこうともがくの反対の手も掴むと
そのまま壁へ押し付けられる
隠しもしない怒りを瞳に宿すと、冷たく見下ろす風間の瞳がぶつかり見つめ合う
緊迫した空気を破ったのは風間だった
呆れたようなため息を一つ付くと、口を開いた

「全く。冗談と本気の区別もつかん程冷静を欠いてどうする」

「なんだと」

「少しからかっただけだ……本心ではあるが、貴様を騙すつもりはない。時間稼ぎや説得など考えてはいない」

その言葉を信じて良いのだろうか?
風間の目は嘘を言っているようには見えない
だが。と絞り出したの声には、どこか悪あがきする子どものような響きがあった

「……ならば何故、私を導く」

「貴様があの男に会う事を望んでいたからだ」

そう言うと、風間はふいと視線を逸らした
同時に、拘束されていた手も解放される

望んでいたから、たったそれだけの理由で?
じんと痺れる手を擦りながら、戸惑った目を向ける

「本当に、たったそれだけの理由か?」

「他にどんな理由が要る」

「何故……」

口から零れた疑問は一体何に対しての問いか
自身にも分からない
だが風間は、少し考えるような躊躇うような素振りを見せ
やがて小さくに告げた

「一度だけ……雪村の家の話を耳にした事があった」

「……?」

唐突な話に、首を傾げたへちらりと視線を寄越し
風間は話を続ける

「次期頭領となるべき上の娘は、幼いながらも文武に優れていると聞いた」

「……」

「興味があった。きっと、美しい娘に違いない……そう思った」

「それは……悪い事をしたな。こんな女で失望しただろう」

風間の話にどう反応してよいか分からず
咄嗟にとった態度は、自分でも呆れる程素直では無かった

拗ねるようなの態度に、風間は僅かに笑みを漏らす
侮蔑でも嘲りでもない穏やかな笑みに、思わず顔を俯けてしまった

、貴様は思った通りの美しい女だった。口が悪いのは少々残念ではあったが」

「……う、うるさい」

反論の言葉も、いつものような迫力は無い
風間の秘めた思いを聞き、動揺しているのが正直な所だった

「長年焦がれた女の望みに力を貸すのは当然であろう?それが例え、人間の男に会いに行くという下らぬ望みでもな」

「……」

「俺が貴様を騙していない事を少しは理解出来たか?」

不遜な物言いだが、それを咎める余裕は無かった
ただ、小さく頷いて見せる
にしてはとても素直な態度だった

「ならばもう休め。明日もたっぷり歩かねばならん」

そう言い残し、風間は静かに元居た位置へと腰を下ろし
木片を囲炉裏の火にくべ、火の番に戻った
もうの方へは見向きもしない

すっかり怒りを鎮められてしまった
しばらく戸口で立ち尽くしていたが
風間に倣い、黙って元の場所へ腰を下ろすと
土方の刀を両腕でしっかりと抱き、目を閉じた

眠りはいつまでも訪れず
の頭の中には風間の言葉がぐるぐると回る
……ずっと、西の鬼が憎かった
だから、西の鬼の頭領である風間千景という鬼は憎しみの象徴でもあった
だが、その風間が一体をどう思っているのか
一度も考えた事が無かった……




そんな、雨の夜のやりとりがあったからと言って
風間との関係や態度が変化する事は無かった
道中はやはりお互い無言だったし、風間に完全に気を許す事は出来なかった
ただ、風間を疑う事だけは止めた
あの夜の言葉は、真実だと思ったから

「この海の向こうに、愛しい土方が居るぞ」

白い息を吐き出しながら、やけに神妙な声で告げた風間を
久々には睨み付けた

「そういう言い方はやめろ。叩き斬ってやりたくなる」

「そう照れるな……それより、本当に船の手配は良いのか?」

「そこまでお前に世話になる義理はない」

蝦夷へと渡った土方の元へ行くには、船が居る
船を手配する事は今の時期困難だったが、これ以上風間に頼る事は出来ない
風間の申し出を断ったに、風間はからかうような笑みを見せる

「そうだな。他の男の元へ行こうとしている女に、これ以上尽くす必要はあるまい」

「……そういう事だ」

嫌味を適当にあしらった所で、会話が途切れる
別れを告げ、立ち去っても良いのだが
別れを口にするのは、何故か躊躇われた

「風間、お前はこれからどうする?」

代わりに、問いかける

「すぐに一族の元へ戻る。まだまだ解決すべき問題は山積みだからな」

「そうか……なぁ、風間」

「なんだ」

風間の顔をまっすぐに見上げる
紅い瞳に向け、は素直な笑みを浮かべた

「お前には、世話になったな……少しだけ感謝している」

「少し、か。相変わらず可愛気の無い女だ」

言って、風間も僅かに笑う
その笑顔は初めて、少しだけ心地よいと思える笑顔だった





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ちー様が良い人(鬼?)になってしまった……
完全に、惚れた弱みというやつになってしまった……