ノワール#18
「着心地はどうだい?」
「……動きにくい」
「すぐに慣れるよ。それに、とてもよく似合っている」
「……本当か?」
いつも通りの仏頂面に、今は少しだけ不安を乗せてが問う
大鳥の言葉が嘘でないか探るような瞳
もちろん、嘘ではない
漆黒の洋服は急いで用意した物だが、思いの他よく似合っていた
皆と同じ服装にしたいとが言い出したのは
着物姿では目立ち、周囲から痛い程の視線を浴びるからという理由だったが
何も、の服装に注目していた訳ではない
皆、雪村という存在を目に焼き付けようとしていただけだ
雪村という女は、にこりと笑う事もせず
口も悪い。こちらが何か粗相をすれば、無理矢理帯に差し込んだでいる刀で斬り掛かってきそうな雰囲気さえある
なのに、それさえも魅力となっている
要するに、は皆の憧れの的だった
「本当だよ。とても凛々しくて、綺麗だ」
「土方に……茶でも持って行ってくる」
大鳥の言葉に満足したは、早速土方にも見せに行きたいらしい
適当な口実を作って、いそいそと出ていったに大鳥は笑みを隠せなかった
可愛い所もある
が蝦夷へやって来てしばらく経つが、時々今の様に可愛い姿を見せる時がある
それは全て土方に関する事なのだが
本人にその自覚は無いらしい。悲しい事に、土方も気付いていない
傍観者の立場の者しか分からないのかもしれない
大鳥は傍観者として、と土方のぎこちない恋愛模様を密かに楽しんでいた
……洋装姿で更に凛々しくなったを見て、土方は何と言ったのだろうか
きっと、気の利いた言葉など言っていないに違いない
土方とを冷やかすつもりで、土方の執務室を訪ねる事にした
大鳥は笑顔で廊下を進む。土方の執務室の扉が見えて来た時
全てを燃やし尽くしてしまうようなの怒声が、大鳥の笑顔をかき消した
「もういい!お前のような途方もない愚か者の話などこれ以上聞けるか!」
「んだと?こら待て!」
乱暴に開かれた扉。中から怒りを露に飛び出して来たは
怒りをぶつけるように床を踏みならしながら、呆然とする大鳥の前を通り過ぎる
「!」
続いて飛び出してきた土方が、すぐに大鳥に気付き口をつぐんだ
大鳥が苦い笑みを作る
土方は飛び出した体勢のまま、決まりが悪そうに大鳥から視線を逸らした
「追いかけなくていいのかい?」
「……あんな女知るか」
人の気も知らないで。と吐き捨てるように言い、土方は勢いを付けて扉を閉めた
悲鳴のような音を立てて扉が閉まると、元の静寂が訪れる
大鳥はしばらく考えるそぶりを見せてから、一人呟いた
「やっぱり、放っておけないな」
「なんなんだあの男は!」
早足で歩いていたになんとか追いつく事は出来たが
声を掛けようにも、怒り冷めやらない様子のに不用意に近付けば
斬り殺されそうだった
それでも、なんとかさんと声を掛け、の前に回って停止を促した
「一体、土方君と何があったんだい?良かったら、話してくれないかな」
「お前に話してどうなる」
「少しは気が収まるかもしれないし、怒りを共有出来るかもしれない」
「……」
うざったそうに大鳥を睨みつけていたの目が変わった
怒りを共有。という言葉に反応したのかもしない
僅かに思案した後、まるで拗ねた子どものような口調でが話し始めた
「あの男、私の服装など目もくれずに……しかも今更、故郷からどうやってここまで来たのかなどと聞いて来た」
やはり、の怒りの原因の一旦は土方の服装に関する反応が薄い事にあったらしい
だが、もうひとつ。怒りの理由はあるようだった
「風間の道案内でやってきたと言ったら、突然怒鳴ってきた……土方の奴よりにもよって、私と風間の間で何かがあったなどと疑ってきたんだ!!」
怒り任せにが壁を殴りつける。穴が開きそうな衝撃だった
の話では、土方は道案内の風間という男とがたった二人きりで何日も寝食を共にしていた事を、責めているらしい
正直、大鳥はどちらの肩を持つ事も出来ない
の口ぶりでは、仕方なく風間という男に頼っただけで
それだけで、何か間違いでもあったのではと疑われるのは不本意だろう
けれど、同じ男として惚れた女が他の男と共に何日も行動するのは耐えられないという土方の気持ちは痛い程分かる
「まぁ、君が怒るのも当然かもしれない。根も葉もない事を疑われたくはないよね」
「よりにもよって風間だぞ!?」
「お、落ち着いてくれたまえ。君とその人の間に何もなかったのはよく分かったよ」
落ち着かせる為に両手でを制する
憮然としながらも、は振り上げた腕を下げた
「君は理解しがたいかもしれないけど、男ってどうしようもない生き物なんだ。好きな女の子が他の男と見つめ合うだけでも許せないんだよ」
「……そうなのか?」
意外そうにが目を瞬かせる
「そうだよ。でも、土方君はよっぽど君に惚れ込んでいるらしい。あんな風に感情的に怒鳴っているのは初めて見たよ」
が不思議そうに首を傾げたので、大鳥は言葉を付け足した
「ああ、京に居た頃はきっといつもあんな風に怒っていたんだろうね。でも、ここでの土方君は少し違う……君もそう感じる事があるんじゃないかい?」
京での土方を知っている者は、土方は少し変わったと言う
も当然その変化に気付いているだろう
だが、はじっと何かを考え込んでいる。心無しその表情は暗い
やがて、ぽつりと呟いた
「変わったのか……」
心に、大鳥の言葉が引っかかっている
は、土方の変化に気付く事が出来なかった
変わったような気もする。けれど、ならば以前の土方はどんな男だったか?
そこでは、ようやく土方について何も知らない事を知った
二人の歩く道が交わらない事は分かっていた
けれど土方が何を夢見て、何に命を懸けていたのか
実の所は知らない。知ろうとしなかった
千鶴はきっと知っている。風間も恐らく知っているだろう
だけが知らない
「……入るぞ」
扉をそっと開け、部屋に入る
先刻の口論の熱もそろそろ冷めた頃だろう
土方の定位置である執務机を見る……土方は、居なかった
おかしい、人の気配はするのに姿がない
不審気に眉を寄せたの耳に、微かだが苦しそうな息づかいが聞こえて来た
「……土方?」
執務机の裏へ回ってぎくりとした
床に蹲って苦しみに耐える土方の髪は、白い
見開く瞳は紅く燃えていた
「お前……変若水を飲んだのか?」
変若水の存在と、多少の知識はにもある
土方の今の状態が、変若水による吸血衝動である事はすぐに理解出来た
は冷静な態度で、刀を僅かだけ抜き手の平を傷付けた
裂けた肌から血が溢れ出す。その手を、土方の方へ差し出した
「飲め」
「……ぐ……」
土方は食い入るように手の平を見つめているが、弱々しく首を振って拒絶した
「いいから、飲め」
頭を掴んで、血の伝った指先を無理矢理土方の口内に押し込んだ
尚も抗っていた土方の舌が、屈したように血を舐めとり始めた
暖かい舌の感触を感じながら、は悲しくなった
またひとつ、土方を知らないと見せつけられた心地だった
「落ち着いたか?」
「……」
土方はまだ荒い息をしていたが、髪も瞳も元に戻っている
とりあえず、衝動は治まったらしい
「……お前」
「なんだ?」
「もうちょっと優しい方法はなかったのかよ……」
やっと口が利けるようになったと思えば、出て来たのは文句で
手の平を拭き取りながら、は土方を睨みつけた
「優しい方法?口移しで欲しかったのか?」
「いや……そうじゃねえ。……悪かった」
「別にいい。それよりお前、何故変若水を飲んだ」
「……」
沈黙
言い方が悪かったのかもしれないと、は少しだけ口調を柔らかくした
「咎めている訳じゃない。……知りたいだけだ」
「……?」
不思議そうに目を丸めた土方の頬を、両手でそっと包み込む
「私は、お前の事を知らないから……知りたい。そして、私の事も知って欲しい」
が土方を知らないように、きっと土方もを知らないから
土方を知り、そしてを知って欲しかった
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残り2話位なのに、物語中盤辺りっぽい話でした……
そして、土方さんは変若水を口にしていました
今までなんの伏線もなかったから、すんごい唐突っぽいですよね。
あと、血の飲ませ方は、指を突っ込むのか口移しかで最後まで悩みましたが
口移しで飲ませてあげる程、姉様は優しくなかったという事で……
和解したかに見えたちー様は、やっぱり酷い言われようです
ちー様ファンの方、すみません