ノワール#2
目の前に横たえていた刀の鞘を掴むと、二人の男は同時に身構えた
それには目もくれず、持ち上げた刀をぐいと前へ突き出す
「千鶴」
名を呼ぶと、正面に座る千鶴がびくりと身を強ばらせる
は千鶴が怯えないように優しい声で語りかけた
「この大通連はお前の持つ小通連と対になっている。共に雪村家の家宝だ」
白く小さな両手を伸ばし、恐る恐る刀を受け取った千鶴は自身の小太刀と並べ置いた
「確かにこの二振りは対になっているようだな」
千鶴の右に控えている近藤が素直な感想を口にする
「……だが、これだけじゃ証拠にならねぇだろ」
千鶴の左に控えている土方は胡散臭いと言わんばかりの声だった
「どういう事だ?トシ。俺は充分な証拠になると思うが」
「確かにこの二振りは似ているが……本当に対のものなのか?」
厳しい視線と問いに、は口元だけで薄く笑った
「どういう意味だ」
「贋作の可能性もあるってことだ」
「何の為に?」
「そりゃ、こいつを手に入れる為に決まってるだろ」
土方が視線だけを千鶴へ寄越す
千鶴はいたたまれないように、身を縮めた
「あの風間とかいう男もしつこくこいつを狙ってきやがる。あんたも私欲の為にこいつを狙ってるんじゃ――」
土方の言葉が途切れ、部屋が静寂に包まれた
一瞬で手元の刀を抜いたが土方の首筋に刃を突きつけたからだ
誰も、その動きに反応出来なかった
「土方、お前はもう少し聡明な男だと思っていたが……がっかりだな」
刃を突きつけたまま、鋭い瞳で土方を射る
怒りを滲ませた視線に圧倒されたらしい土方が生唾を飲み込む
居並ぶ3人の中で声を発したのは、意外にも千鶴だった
「や――やめて下さいっ」
恐怖を隠しきれていないが、それでも懸命に言葉を紡ぐ
「あなたが私の姉様だというのなら、その刀を納めて下さい!」
「何故」
「……え?」
「何故この男を庇う。お前はこいつらに捕らわれているのだろう?」
千鶴の今の境遇は捕らわれの身と大差ない
事実を突きつけられた千鶴が一瞬言葉につまる
だが、すぐに口を開いた
「……だからといって……力に訴えるのはよくないです。暴力では何も解決しません」
綺麗事だ。だが、それはとはま逆の人生を送ってきた証明にも思えて
は密かに安堵し、無言で刀を納め、立てていた片膝も元に戻した
「しかし、今のはトシも悪いぞ」
はっきりとしたものいいに、も千鶴も声の主へ顔を向けた
腕を組んだ近藤が、咎めるように土方を見る
「頭から人を疑ってはいかん。それに、このおなごは嘘を付いていないと俺は思う」
「な、何を根拠に言ってんだよ近藤さん」
すぐに反論した土方へ、近藤は自信たっぷりに言い放った
「直感だ」
がっくりと肩を落とした土方の様子をは楽しげに見つめる
千鶴はまだ顔を強張らせていたが、堂々とした近藤の態度に少し緊張を解かれたようだった
「……直感かよ」
「いや、それだけではないぞ。トシも彼女の剣術を見ていただろう?あれだけの力を持ちながら贋作などで我々を騙すか?」
ほう。とは心の中で感心した
土方も近藤の言い分には反論する余地が無かったようで、腕を組んだまま口を閉ざす
「そうだろう?雪村君の姉上よ」
「――流石、新選組局長の名は伊達ではないな。飲み込みが早くて助かる」
褒められたと思ったのか、近藤は照れたように頭を掻いた
単純だな。とは声に出さず、は静かに微笑みながら
並べ置かれた刀を取り上げ、膝の上に置いた
「これは本物だ……正直な所を言えば私の所有物ではなく、弟のものだがな」
「今度は弟かよ」
うんざりした土方の言葉には取り合わず
慈しむように刀の鞘を撫でる
「身の証になるよう借り受けたんだがな――千鶴、これでは姉妹の証にならないか?」
「あ――」
まっすぐに見つめると、千鶴は素直に困惑を見せた
を疑っている訳ではない、けれどすぐには心の整理がつかないといった様子で
不安に揺らぐ瞳を俯け、懸命に言葉を紡ぐ
「信じてないわけでは……ありません。ただ私にきょうだいが居るなんて、父様からは一度だって聞いた事がありませんでしたし……」
「父様、か」
意味ありげにが呟く
瞳を上げた千鶴を、再びまっすぐに見つめた
「お前が言う父様とは、綱道の事だな?あの男は、お前の本当の父ではない」
「え」
「おい。本当の父親じゃないって――そりゃどういう事だ」
驚きに固まる千鶴と、話に割り込んで来た土方を冷ややかに見る
二人を蔑んでいるわけではなく、これから語らなければならない昔話に
の心が軋んで凍てつくせいだった
「私達の本当の父様は、とうの昔に死んだ」
「死んだ、だと?」
「……そんな」
「母様も死んだ。私達以外の雪村のものは死に絶えた」
大人も、子どもも
雪村家のあった小さな村はたった一夜で滅んだ
千鶴は唇を震わせ、それでもなんとか言葉を紡いだ
「――どうして」
「殺されたんだ。人間にな」
土方と近藤を見ると、二人は揃って瞳に怯えを走らせた
仇を見るような目でもしていたのだろうかと、ぼんやりは思う
彼らが手を下した連中とは無関係だという事は充分承知している
けれど、人間と大きく括ってしまえば彼らも決して無関係ではないとも、思う
絶句した三人へ、は淡々と語り聞かせる
「人間共は同族同士の下らん争いに我らを巻き込もうとし、それを拒んだ我らを滅ぼした」
倒幕などには下らない事柄以外の何物でも無かった
人間同士の下らない争いへの協力を拒んだだけで、小さな村は攻め入られ
火を放たれ、無抵抗の父と母は殺された
「村が滅んだ時、お前は綱道に村から連れ出され、お前の兄は土佐の南雲家に引き取られ――私は」
一旦言葉を区切り、小さく息を吐き出してから
は再び口を開いた
「私は、たった一人でこの無常の世を生き抜いた。お前達と再会する日を夢見ながら」
願いは、叶った
弟である薫と無事再会し、千鶴ともようやくこうして会う事が出来た
押し黙ったままの千鶴へ向け
はここへやって来た目的を静かに告げた
「千鶴、私はお前を迎えに来たんだよ。再び皆で暮らすのが私の願いだ」
「ちょ、ちょっと待て!」
「何だ」
「今こいつは俺達が預かってる。綱道さん探しにもこいつの力が――」
「それがどうした?そんなもの私には関係ない」
有無を言わさぬ口調で言い放つ
から言わせれば、土方の言い分には説得力がない
「家族で暮らして何が悪い。お前に家族を引き裂く権利があるのか?」
「それは……」
口ごもった土方を厳しい視線で睨み付けていただが
ふ。と瞳の厳しさを解くと、小さく息をついた
「だが、千鶴がここに居る事を望むのなら話は別だ。千鶴、お前はどうしたい?」
の目の前に居る三人がそれぞれに驚きを表した
それ程予想外の言葉だったのだろうか
は眉間に皺を寄せて、不快感を表した
「い、いや、すまんすまん。てっきり問答無用で雪村君を連れ帰るのかと思ってしまった」
腹立たしい言葉だが、あまりに素直にあまりに明るい近藤の態度に
怒りを削がれ、心底呆れたように口を開く
「私は千鶴の意に添わん事はしない。西の鬼共と一緒にするな」
すまん。ともう一度謝罪を口にしてから、近藤は照れ隠しのように笑った
は近藤から千鶴へ視線を移す
目が合うと、千鶴は顔を俯け視線を逸らす
「あの――私……」
懸命に言葉を紡ごうとして、それが出来ずに悲しそうに顔を曇らせた
突きつけた選択に混乱しているのは明らかだ
それ以上に、が告げた真実に傷ついてもいる
傷つくと知っていながら、それでも真実を告げる自分は酷い姉だと思う
けれど、知らなければならない事なのだ
「千鶴」
「……私、は」
「もういい、すぐに連れ帰る事が出来るとは私も思っていない」
弟から借り受けた刀と自身の刀をまとめて手に取ると
は音も無く立上がった
千鶴に害を及ぼす連中ならば皆殺しにでもして連れ帰るつもりだったが
どうやら、その必要はないようだった
千鶴はこの人間達を気に入っているようだし
新選組にしても、千鶴を多少でも大切に扱っているようだった
にとっては多少残念な事だったが
「また近い内に来る。答えはその時でいい」
返事は聞かず、告げたい事だけ告げるとは踵を返して三人に背を向けたが
が障子の前まで来た所で動きを止めた
「土方」
呼びかけに返答はない。それを気にする風でもなく、は哀れっぽい笑みを浮かべながら
顔だけで振り返った
「私の事を説明する手間が省けて良かったな。好奇心旺盛な部下に感謝しろ」
「……は?」
全く理解出来ていない様子の土方を無視し、今度こそ障子を開ける
途端、障子の向こう側にあった気配の塊がバラバラに飛び散った
恐らく幹部隊士達は任せられた仕事そっちのけで一部始終を聞いていたのだろう
は割と始めの方から気づいていたが
土方や近藤が気付いていたかは怪しい所だった
そこかしこの陰から漂う気配と、こちらを窺う視線の中を悠然とは歩く
空は、すべてを包み隠す夜から、すべてを暴き出す朝へと変わりつつあった
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説明の会。
なんだか千鶴争奪戦のような感じですが、一応土方夢です。