ノワール#3
闇を追い立てるように、うっすらと朝日が空を染め始める
冷えた風を肌に感じながらは二本の刀を手に、のんびりと歩みを進めていた
新選組は追ってこようとはしなかった
追って来たとしても、相手にはしなかっただろう
……流石に疲れた。
小さくあくびを噛み殺したは、ふいに感じた気配に足を止めたが
曲がり角の向こうから漂う気配の主が誰であるかを察し
柔らかく微笑んだ
「どうした?まだ布団の中に居てもいい刻限だぞ」
表情同様、優しげなの声に
曲がり角で身を潜めていた人物が、おずおずと姿を現す
長い黒髪を綺麗に結い上げ、淡い色目の振り袖を身に纏い
千鶴と瓜二つの顔を俯けた人物は気まずそうに言葉を紡ぐ
「だって……姉様が中々帰って来ないから」
「てっきり新選組に捕まったのではないかと、心配になった。か?」
図星だったらしく、小さく頷く姿に
はわざとらしくおおきなため息を吐き出した
「まさか、弟にまで見くびられていたとはな」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「冗談だ」
項垂れ、萎縮する弟に近づき
安心させるように頭を撫でる
より僅かだけ低い位置にある相手の瞳が、縋るようにに向けられた
「私を心配してくれて、ありがとう」
素直な言葉だった
尚も見上げてくる弟に微笑みかけると、ようやく安心したのか
微笑みが帰ってきた
「さぁ、帰ろうか。少し疲れた。やはり言葉での説得は苦手だ」
刀を使った説得の方が得意だと言いたげな、含みのあるるものいいに、薫は苦笑
する
暴力的な思考も、ぞんざいな言葉使いも薫はさほど気にしていないようだった
死んだとばかり思っていた姉に会えた喜びに比べれば、の性格や言葉遣いの変化は些細な事だったのだろう
ぴたりと寄り添う、薫の甘えた仕草にの口元が綻ぶ
血を分けたきょうだい……唯一安心出来る存在を感じたいのはだけではない
薫もまた、安心出来る存在の温もりが恋しかったのだ
だからからもそっと寄り添い、結い上げられた薫の髪を優しく撫でる
こんな穏やかな時間をどれだけ望んだだろう
風間や新選組とのやりとりで逆立っていた神経が少しずつ落ち着いてゆく
だが、そんな穏やかな時間もたった数歩の距離であっけなく打ち砕かれた
「……姉様?」
突然立ち止まったへ、薫が不思議そうに問いかける
息をついたは薫に答えず、代わりに苛立たしく吐き捨てた
「本当に、忌々しい」
仕方なく振り返る
少し距離を置いた場所に、佇んでいるのは風間千景だった
こちらを見つめる紅の瞳を容赦なく睨みつける
「ずっと待っていたのか?暇な男だな」
「どうやら妹の奪還は失敗したようだな」
の悪態には答えず、余裕のある態度でに向き合う
風間の言葉と態度が癇に障っただが
今は相手にするのも億劫で、ただそっけなく返す
「お前には関係のない事だ」
「俺が手伝ってやろうか?」
「……なんだと?」
予想外の申し出に、は眉を顰める
笑む紅い瞳からは真意が読み取れない
「どういう意味だ」
「そのままの意味だ。貴様はあの人間共から妹を取り戻したいのだろう?だから
、この俺が手助けをしてやると言っているのだ」
「……」
「そんな事言って、俺達を利用したいだけなんじゃない?」
真意を探ろうと押し黙ったに代わり、薫が不信感を露にした
風間は動じない
「貴様らを利用して、あの女を奪うつもりはない。雪村の次期頭首となる筈だっ
た女に恩を売るのも悪くないと思っただけだ」
次期頭首。
流石に東の鬼の事情にも詳しいらしい
だが、の心には不快感が募るだけだった
「お前たちの手など必要ない。二度と私達に関わるな」
言い終わるが早いか、はさっさと背を向けた
「……なぜだ」
風間の呟きにも無視を決め込もうとしたが、薫はの顔色を伺いながらも、風間へ向き合ったままだった
「雪村、貴様は何故そこまで西の鬼を目の敵にする」
「何故、だと?」
ゆっくりとが振り返る
口元に、蔑むような笑みを刻んで
「理由など一つに決まっているだろう?お前たちが憎いからだ」
「憎い……だと?」
意外そうに風間は驚く
にとっては、その反応さえも腹立たしい
「……何故西の鬼を憎む?例え東西に別れても、我らは同朋だろう?」
「同朋だと?笑わせるな」
の瞳に怒りが灯る
力を込めた手の中で刀がきしんだ
「お前たちは私に何と言った?父と母を侮辱したお前たちを同朋だなどと思える
か」
「何の話だ?」
知らないのか。知らないだろうとは心の中で叫ぶ
風間の頭首は何も知らない
末端の者の瑣末な発言まで耳に入る筈が無い
「いいだろう、特別に教えてやる。……我らの村が人間共に滅ぼされた時」
村も家も家族も、全てを奪われた
たった一人になったはまずはじめに西の鬼の住処へ向かった
同朋へ救いを求めるのは唯一の選択肢で、当然の選択だと思っていた
何日も歩き、ようやく村から比較的近い西の鬼の住処を見つけ
は身分を明かし、保護を求めた
「子どもの足より情報の方が早かった。雪村の者だと分かると、西の鬼どもは門
の中へ招き入れてくれたよ」
吐き捨てるように言葉を切ったが、一つ息を吸う
風間も、そして薫も黙り込んでの言葉に耳を傾けているようだった
「奴らは私を労ってくれた……だが、陰ではなんと言っていたと思う?」
「……」
射るように風間に向けた鋭い瞳を、風間はまっすぐに受け止めた
紅い瞳が先を促す
の怒りの源を、知ろうとしていた
「奴らは……あの忌々しい西の鬼共は……父と母を愚かだと言って、笑ったのだ
」
人間共の要求を受け入れて入れば
或は、村を滅ぼそうとやって来た人間共を返り討ちにしていれば死なずに済んだ
のに
無抵抗で死を受け入れるなど愚かだ。と、西の鬼は言った
が聞いているとも知らずに
「父と母は雪村の信念を胸に散ったのだ。それを……愚かなどと」
「……だが、それは一部の者の言葉だ。西の鬼が全て同意見ではない」
「それがどうした」
風間の言葉をはぴしゃりと斬り捨てた
「他の者は違うから、憎むなと?お前は違うから、友好的になれと?」
「……」
「私はそこまで器用ではない。人間は等しく憎く、西の鬼もまた等しく憎い」
優しい人間や争いが嫌いな人間は沢山いる。西の鬼もきっとそうだろう
だが“人間”“西の鬼”と一括りにすれば、等しく憎悪の対象になる
そして、風間千景は西の鬼を統べる者だ
憎しみを向けずにいる事はには無理だった
「なぁ風間、私の憎しみが分かったか?分かったのなら二度と私の前に現れるな
。もちろん妹と弟に近寄る事も許さん」
言葉を失った風間へ
は抑えきれない恨みと共に最後の警告を口にした
next
なんだかヒロイン、毎回キレてますね…