ノワール#6





が三度千鶴を訪ねた時、新選組は不動堂村へと屯所を移していた
大名屋敷然とした屯所の柱にもたれかかりながら、室内の会話に耳を傾けていた
ひとつ息をついてから、勢い良く障子を開け放った

「その辺にしておけ」

突然の乱入に、室内の二人は驚きの視線をに向ける
堂々とした歩みで室内に入ったは二人の間に割って入った

「……姉様」

背後に庇った千鶴が困ったような、縋るようなか細い声を出した
その声を聞き、目の前の男が刀を構えたまま笑みを浮かべる

「ほう、貴女が噂の姉君ですか。お目にかかれて光栄です」

「私の妹に刀を向けるとはいい度胸だな。山南敬助」

威嚇するように睨み上げれば、山南は更に笑みを深める

「いえね、彼女に研究の協力をお願いしているのですよ」

「刀を向けて、か?」

「ええ。血を、少し分けて頂きたくてね。……鬼の血が必要なのです」

呆れた表情を、隠す事なくは浮かべた
下らない。千鶴はこんな所に居たいのだろうか
こんな連中を信用しているのだろうか
呆れと怒りを押さえつけ、は努めて冷静に口を開いた

「そんな事で千鶴に刃を向けるな。血が欲しいならくれてやる」

言って、は躊躇う事なく向けられる刃に手を伸ばし、掴んだ

「……!」

「ね、姉様!やめてください!」

千鶴の悲鳴を無視し、驚く山南に笑みを寄越す
刃を握る手を少しだけ滑らせると、すぐに深紅の血が溢れ出し 刀を伝った

「……」

「どうした?研究に血が必要なんだろう?」

挑発的な声も、山南の耳に届いていないようだった
刀身を伝い、鍔まで流れて来た血を食い入るように見つめている

「ほら、早くしないと血が零れてしまうぞ?」

それでも、山南はただ見開いた目で血を見つめるだけだった
恐らく無意識に、ごくりと上下した喉の動きをは見逃さなかった
勝ち誇ったように、或は嘲るように笑みを深めたが口を開いた

「なぁお前。血が欲しいのは研究の為か?本当は自分が啜りたいだけじゃないのか?」

「……」

「図星か?なら遠慮せずに啜れ、まがいものの鬼め」

山南が悔しげに唇を噛んだ
その時、開け放してあった入り口に人の陰が差した

「何やってんだ。あんたら」

「見れば分かるだろう。この血に飢えた男から妹を守っている」

不機嫌そうな顔で立つ土方へ、更に不機嫌そうな声でが答える

「……私は血に飢えてなど……私は、新選組の為に……」

独り言のような、弱々しい声
土方を見る瞳には、どこか縋るような色があった

「土方君、君なら分かってくれますね?羅刹の研究には鬼の血が……雪村君の血が必要なのです」

「悪いが、その意見には賛同しかねるぜ。山南さん」

きっぱりとした物言いに、山南は明らかに落胆したようだった
の手が掴んだままの刀を強引に引き抜くと、血がついたまま鞘に納める
血にまみれた手を下ろす。ぽたぽたと畳に血の雫が落ちた

「この状況では少々分が悪いですね。日を改めるとしましょう」

取り繕うような笑顔で告げると、に一瞥をくれてから
山南は土方の隣をすり抜け、部屋を後にした

山南の去った方角をしばらく睨んでいたの隣へ立った土方が
ため息と共にを見下ろす

「ったく。お前は無茶苦茶な女だな……ほら、見せてみろ」

「何をだ」

「手だよ、手。手当くらいはしてやるから」

土方がそう提案する程、の手は深紅に染まっている
だがは、土方の気遣いに鬱陶しそうな目を返しただけだった

「手当など必要ない」

「んなワケねーだろ。やせ我慢せずに見せてみろって」

強引にの手を掴んで引き寄せた土方の手に血が移る
手の平の傷を探っていた土方が絶句した
血が溢れ出ていた傷口がすでに塞がり始めていたからだ

「私は鬼だ。あんな傷位はすぐに治る」

「……そういえばそうだったな」

土方の呟きは、どこか自分自身に言い聞かせているようだった
の手を解放すると、さりげなく視線を外した

「悪かったな」

小さく、けれどはっきりと言い切った声に、は土方を見上げた
意外そうに見つめるの視線から逃げる

「一体何について謝っている。山南の事についてか?それとも私をさんざん疑ってくれた事か?」

「……どっちもだよ」

ならば、土方はの言い分を嘘ではないと認めたとこう事だろうか
は益々意外だと言わんばかりの目で土方を見た

「どういう心境の変化だ?気味が悪い」

「お前な……」

好き放題のの言い分に頭に来たらしい土方が何事か言いかけるが
すぐに小さく息を吐き出すと、冷静を取り戻した

「あんな顔されたら、姉妹だって認めないわけにはいかねぇだろ」

あんな顔。とは千鶴がを「姉様」と呼んだ時の顔だろうか
確かにあの時は、不覚にも涙しそうになった
だから、相当情けない顔だったろうとはある程度自覚しているが

「そんなに情けない顔をしていたか?」

「ああ、相当情けなかったぜ。けど、あの顔はどんな証拠より証になった」

「……そうか」

あくまでそっけなく答えたの顔は、本心からの微笑みを浮かべていた




血くらい洗って行けと言った土方の言葉に素直に従えたのは
聡明だという土方の評価を、自身も納得出来たからかもしれない
それに、

「……」

血が綺麗に洗い流された手の平を見る
傷は完全に塞がり、すぐに跡形もなくなるだろう
鬼の治癒能力は高い。心配される必要は全く無い
けれど、焦っての手を掴む土方が印象的な光景として
の心に留まっていた

と、ぼんやり歩いていたは背後の気配にようやく気付いた
人並みに紛れ、上手く気配を殺しているつもりらしいが
尾行は拙く、初心者のものだ

「……」

角を曲がり、意図的に人通りの少ない道を選ぶ
いくつもの角を曲がり、完全に人通りの途絶えた筋に到着すると
唐突には立ち止まった

「私に何か用か?」

言って、ゆっくり振り返る
から少し離れた位置で、隠れるように壁に寄り添っていた少女が
観念したようにを見た





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どうしても、山南さんとのやりとりを書きたかったのです