ノワール#7





「……やっぱり、気づかれちゃってた?」

尾行を見破られていた割には、明るい口調

「まぁな。途中までは気付かなかったが」

気付かなかったのは注意力が散漫していただけで、少女の尾行が優れていたわけ ではないが
面倒なので、わざわざ説明はしなかった
途中まで尾行が成功していたと思った少女は気を取り直したらしい
にっこりと微笑む姿はどこか優雅だった

「なら、成功ね」

「そういう事にしておけ。で?お前何者だ」

見た所、と歳は大差ない
だが、少女は人ではない。直感で、そう思った

「そうね、自己紹介がまだだったわね」

のんびりと少女が言う

「みんなは私の事、千とか千姫って呼ぶわ」

「千姫……お前、京の鬼か」

「ええ、そう。京の鬼の事は知ってたのね」

「伝え聞いた程度だが、一応な」

実際に京の鬼を見たのは初めてだったが
なんとなく上品で優雅な少女の立ち振る舞いを納得出来た

「それで?京の鬼姫さまが何の用だ?」

「あなたの手助けをしたいのよ。雪村さん」

「……手助け?」

訝しむような目を向ける。品のある眼差しに嘘や下心は無いようだった
だからこそは冷ややかに告げる

「必要ない。だいたい、鬼にも人にも世話になるつもりはない」

「うーん。ほぼ予想通りの言葉ね」

男でも竦みあがるようなの態度にも動じない

「けれど、何かしたいのよ。同族として、あなたの力になりたい。今更だけど」

「確かに、今更だな」

本当に手を差し伸べて欲しかったのは、今ではない
今更、何を助けるというのか
千姫の手を見る。とは違う、綺麗な手
そんな手に触れる事は出来ない。今更

「なぁ姫様、私はもう手遅れだ。そんな綺麗な手に縋る事は出来ない」

「そんな事――」

「それでも」

千姫の声を遮る
の声は穏やかだった

「それでも手を差し伸べたいのなら、その手は妹たちに向けてやってくれ」

言葉が意外だったのか、微笑みが意外だったのか
千姫はを丸くした目でを見た

「ええ、もちろん……」

頷いて、言い淀む
何故かその顔には苦笑いが浮かんでいた

「そのつもりだけど、千鶴ちゃんには一度振られてるのよね」

「千鶴に?」

「ええ、けど私に出来る事は何でもするつもりよ。それになたの事も諦めるつも りはないから」

腰に手を当て、堂々と宣言した京の鬼姫に
今度はが苦笑いを浮かべる番だった

「勝手にしろ」





居並ぶ町屋のひとつがの今の住処だった
前の住人は夜逃げでもしたらしく、僅かに残されていた家財や着物の類は勝手に 拝借している
あくまで京にいる間の仮の住まい
襤褸の目立つ家屋に多少の不便はあるが、雨風が凌げ薫と共に生活出来ればなん の支障も無かった
玄関の戸に手を掛ける
一応気配を探ってみたが、京の鬼姫の尾行はもうないようだった
建て付けの悪い戸を引き開ける
と、土間で所在なさげに立っていた薫が、困惑しきった顔をに向けた

「こんな所で何をしているんだ?」

「あ……あの、姉様」

何故か歯切れが悪い。泳いだ視線が室内へ向かい
招かれざる客の存在を悟った
閉ざされていた障子を開け放つ
果たして、にとって最も招かれざる客は寛いだ様子で、のんびりとを見 上げた

「家の中で位しとやかにはできんのか、貴様は」

「二度と私の前に現れるなと、忠告した筈だが?」

そんなに私に斬られたいのかと凄んでも、招かれざる客――風間千景は微動だにしない
だが、視線はの顔から僅かに逸らした

「そう殺気立つな。争いに来たわけではない」

「お前がどういうつもりかなど関係ない。私の家から去れ」

「元々貴様の家ではなかろう」

「だが今は私の住処だ」

もし手元に刀があれば抜刀しそうなにも、風間は不気味な程落ち着き払って いた
薫は離れた位置から、不安そうに二人のやりとりを見守っている
の言葉には応えず、しばらく口を閉ざしていた風間がポツリと呟いた

「……貴様の両親を愚かだと言った鬼について教えろ」

「なんだと?」

意外な質問に、思わず眉を顰めた

「名は聞いたか」

「知るか」

「なら、特徴や容姿は覚えていないのか」

「……そんな事を聞いてどうする。知った所で、もうこの世には居ないヤツらだ 」

「やはり貴様が斬っていたか」

始めから知っていたような言い方
ならば何故、に質問したのか
風間の質問の意図が読めず、は苛立った

「両親を愚弄した輩を、私がそのまま放っておくと思うか?」

「それは、そうだな」

の苛立を知ってか知らずか、風間は神妙な面持ちで同意を口にした
何かが、おかしかった
風間千景という鬼の事など、はほとんど知らない
それでも、普段の風間とは違う雰囲気を持っていると感じた
偉ぶっているわけでもなく、他人を見下しているわけでもない
ただ断固とした威厳が漂っている
自然とは風間に対する警戒を強めた

「それに、そのような輩は成敗されて当然だな」

「……なん、だと?」

予想外の言葉に、思わず言葉を詰まらせる

「同朋を愚かだと嗤う者こそが愚かだ。そうだろう?」

問いと共に、音もなく風間が立上がった
無意識には一歩後退する

「俺は、信念を貫いた貴様の両親を愚かだとは思わん」

「そ……んなもの……お前ひとりの言葉など」

まっすぐに見つめられ、圧倒されている心を叱咤する
憎い西の鬼に怯んでいる自分自身が許せなかった

「だが、俺の言葉は風間家の総意。ひいては西の鬼の総意でもある」

「……」

の両親を笑った鬼はあくまで異端であり
風間千景の言葉こそが西の鬼達の考えだということか

今度こそ返す言葉がなく、は苦しげに歪めた顔を俯けた
その隣を横切る風間が一度足を止めた

「今日はそれを伝えに来ただけだ」

は返答せず、顔を上げる事もなかった
背後に去り行く足音を聞きながら

「……今更だ。なにもかも」

絞り出すような、泣きそうな声でが呟いた





next




ちー様の反撃。
そして千姫は胆が据わっていると思います。