ノワール#9
漏れ聞こえる賑やかな声に惹かれ、道場に立ち寄った土方は
新選組幹部相手に木刀を振るう人物を見て、ギョッとして目を見開いた
「なんだお前たち、所詮その程度か?」
尻を付いた永倉に木刀の先をつきつけ、息を弾ませながらも勝ち誇った笑みを浮
かべるのはだった
「な……何やってやがんだアイツは!?」
「いやー、見事な腕だろう!トシ」
どっかと腰を下ろし、見学していたらしい近藤がカラカラと楽しそうに笑う
「何笑ってんだよ近藤さんっ。何でアイツがあんなトコで木刀振り回してんだ」
「無論、稽古をしているんじゃないか」
「だから、なんで稽古してんだよ」
新選組の隊士でもない者が新選組の屯所で稽古をしている、なんて言語道断だ
しかも永倉と原田、二人を相手にしていながらの方が優勢な立場だというの
も
土方が眉間に皺を刻む原因だった
の実力は、身を持って知っている
だからこそ、気に入らない
「……すみません」
本当に申し訳なさそうな、弱々しい声がかろうじて土方に届いた
見れば、近藤の隣で小さくなっている千鶴が困った顔を土方に向けている
「姉様は、私に稽古をつけてくれようとしていて……」
千鶴の話によれば、元々千鶴がに稽古を乞うたらしい
近藤の計らいで道場を二人だけで使用していた所に
永倉、原田が乱入してきた……と
そこまで聞いて、土方は大げさなため息をついた
妹を鍛えようと張り切るの姿も
それを姉妹愛だと感動し、道場を使うよう勧めた近藤の笑顔も
面白がって無謀にもに挑戦した永倉と原田も
全てが容易に想像出来過ぎて、呆れた
額に手を当てて項垂れる土方を他所に
永倉と原田は尚も果敢に挑戦を続けている
不敵に笑ったは両手に木刀を持ち、二人を待ち構えている
「おいテメーら!いい加減に――」
「まぁまぁトシ、細かい事を言うな。皆楽しそうなのだから」
「良くねぇ」
おおらかな近藤の言葉も、ぴしゃりと否定する
道場は遊び場ではない
だいたい女一人に幹部が二人掛かりで敵わない、なんて光景を
他の隊士達に見られたらどうするというのだ
木刀を交える三人の元へ、素手で割り込んで行きそうな土方を
やはりのんびりと近藤が制した
「いいじゃないかトシ、彼女もようやく笑顔になったんだし。なぁ?雪村君」
「はい。皆さんのお陰で、姉様も元気になったみたいです」
「……?どういうことだ?」
二人の会話が理解出来ず、土方は首を捻る
「この間来た時、姉君に元気が無かったと雪村君から聞いてな」
「ええ、何か思い詰めている様子だったのですが、私には何も話してくれなくて
……」
思い詰めていた。その理由を土方は知っている
自らが打ち明けたのだ
意外だったのは、妹の千鶴には話していない事だったが
の性格を考えれば、他人に悩みを打ち明ける事はしないのだろう
ならば何故、土方には打ち明けたのか
ふと疑問に思ったが、すぐに考える事をやめた
考えた所で答えは出ない。の考えなど土方には分からない
「じゃあアレか。あんたらは稽古っつう名目でアイツを元気付けようとしてた訳
か」
「まぁ、そんな所だ」
はにかむように笑う近藤を、本当にお人好しだと思う
けれど、良い案だとも思った
少なくとも、自分の拙い慰めの言葉より、余程気持ちが軽くなるだろう
「いやしかし、惚れ惚れする腕前だと思わないか」
二本の木刀を華麗に扱うへ、近藤が感嘆の言葉を漏らす
「確かに、腕っ節は認める。ありゃ我流だな」
「そうだな……たった一人で己の技を磨いて来たんだろうな」
悲しむように弱められた声
不思議に思った土方が近藤を見ると、近藤は声と同じく
悲しむような目をに向けていた
「なぁトシ。彼女の剣術は素晴らしいが、強さを見せつけられれば見せつけられ
る程、俺はなんだか悲しくなるんだ」
「……」
「彼女の強さは、孤独の深さと比例している。なんて思ってしまうんだよ」
照れるように笑った近藤に、何も返せなかった
が強いのは、頼れるのが己しか居なかったからだ
そんな事に今更気がつく
木刀を打ち鳴らす音が道場に響き
すっかり元気を取り戻したように笑うを、土方は静かに見つめた
「だから、あれは冗談だと言っただろう」
“この間みたいに優しくしてくれないのか?”と言ったの言葉を真に受けて
いると誤解されたらしい
の隣に立つ土方は、もごもごと言い訳するように呟く
「別に、優しくしてるつもりじゃねぇよ」
「なら、どういう風の吹き回しだ」
不機嫌。というよりは単純に疑問に思っているのだろう
疑問に思われても当然だ
唐突に、家まで送ると申し出たのだから
「別にいいだろ。夜の京は特に物騒だから、送ってやるって言ってんだよ」
「必要ない。私を狙う命知らずなど、返り討ちにしてやるまでだ」
なら本当に返り討ちにしてしまうだろう
護衛など必要ない。それは土方も充分承知しているのだが
夜に染まりきった道を一人で帰ろうとするを見た時
道場での近藤の言葉を思い出してしまった
そして、気がつけばを送ると言っていた
「だったら、俺は散歩だ。たまたまあんたと同じ方向に散歩するだけ。それなら
問題ねぇだろ」
「……勝手にしろ」
突き放すというより、呆れているようだ
何故頑なにを送ろうとするのか、不思議にも思っているだろう
問われた所で、返せる答えを土方は持っていないが
「お前といい近藤といい、新選組にはおせっかいが多いな」
適当に縛った髪を風に遊ばせながら、が呟く
「まぁ、お陰で久々に体を動かせた。あれは良い気分転換になった」
「……なんだ、気付いてたのか」
どうやら、千鶴と近藤の気遣いはお見通しだったらしい
「気付かないとでも思ったか?」
だが、不快ではなかったのだろう
相変わらず可愛気はないが、それでもは笑みを零していたから
「良い気分転換になったんなら、近藤さん達に感謝しねぇとな」
「……感謝、か」
の呟きはささやかな風のようで、かろうじて土方の耳に届く程度だった
「なら、お前にも感謝しなければいけないのかもな……」
「ん?何か言ったか?」
独り言のような囁きに、思わず聞き返す
は僅かに微笑んでから、聞こえていないのなら良いとだけ答えた
「なんだよ、気になるじゃねぇか」
「ただの戯言だ。気にするな」
言って、はまたひとつ微笑む
今日のはなんだか機嫌が良い、と土方は思う
体を動かして、気分が高揚しているだけかもしれないが
それでも、全てを拒絶するような仏頂面よりも余程良い
楽しげな様子のは、ごく普通の娘に見えた
「なんだ、人の事をじろじろと」
気付けば、が顰めた顔を土方へと向けていた
じっと見つめていたのが気に食わなかったらしい
見上げてくる瞳に思考が読まれそうな錯覚を覚え
慌ててから視線を逸らした
「何でもねぇ。気にするな」
「変な男だな、まぁ前から分かっていた事だが」
「……お前な」
「本当の事を言っただけだ……ん?」
さらりと失礼な台詞を言い放っていたが、ふと何かに気付き
すぐに顔を綻ばせた
土方には見せた事のないような優しい笑み
「薫」
「……薫?」
「私の弟だ」
弟。
の視線を追った土方も、少し距離を置いた場所に佇む人影を発見した
月明かりに、佇む人影の顔が照らし出される
思わず、土方は息を呑んだ
が薫と呼んだ、その人物は
髪を短く切り揃え、戦装束に身を包んでいるものの
その顔立ちは千鶴と瓜二つだったから
「姉様――」
と同様に顔を綻ばせかけた薫は、の隣に立つ土方を見た途端
表情を険しくさせた
警戒されている、というよりも仇を見るような厳しい視線だった
「……姉様。なんで、そいつと居るの?」
固い声
年の離れた少年に“そいつ”と呼ばれても、咄嗟に言い返せない凄みが
薫の声には含まれていた
だがは、薫の態度を気にする風でもなく
楽しげな声で答えた
「散歩、らしい。たまたま私の帰り道と同じだったんだ」
「ふぅん……そう」
の説明で薫が納得した様子は無かった
土方を見る薫の瞳はどこまでも冷たく、千鶴と見間違う程の顔立ちだけに
戸惑いも大きかった
一触即発に似た雰囲気の中、だけが変わらぬ態度だ
「薫、お前はこんな所で何している。何処かへ出掛けていたのか?」
「あ……うん。帰ってきたら姉様が居なかったから……」
だから迎えに来た。と告げた薫に、は困ったような、けれど心から嬉しそう
に瞳を和らげる
「そうか。なら、帰るか」
す、と土方の隣からが離れ
思わず引き止めそうに伸ばしかけた手を慌てて引っ込める
何故、引き止めようとしたのだろうか?
薫の元に去ったが、土方へと振り返った
「じゃあな」
そっけない一言
「お、おう……」
土方が応じると、は淡い笑みを残して薫へ向き直った
薫は一際鋭く土方を睨みつけてから、ふいと顔を逸らした
寄り添って歩く姿に、自分などでは太刀打ちできない壁を感じる
当然だ、とも思う
にとって土方とは血の繋がった家族に太刀打ち出来る程の存在ではない
第一、太刀打ち出来る存在になる事を土方自身も望んでいるわけではない
けれど、見せつけられた絶対的な壁を淋しいと感じてしまったのは何故だったの
だろう
「……くそ、わけわかんねぇ」
ひとりきりになった道のまん中で、吐き捨てるように土方は呟いた
next
いよいよ恋の予感!?