緋牡丹想々 序章
噎せ返る血の臭い。肉を裂く耳障りな音。
吐き気が込み上げてくる口を唐突に塞がれ、驚いた千鶴は抑えられた口の中でくぐもった悲鳴を挙げた
「しっ」
背後から、声が短く叱責した
「死にとうなかったら静かにしとき」
訛りのある言葉遣い。声は高く柔らかい
口を抑える手も柔らかく、それだけで背後の人物が女だと分かった
目の前の凄惨な光景は逃げ出したい程の嫌悪を覚えるが、女の暖かい手が千鶴の正気をかろうじてつなぎ止めているような気がした
「…むごいな…」
小声で女が呟く
全くもって同感だったが、頷く事も憚られるこの状況では身を固くするだけだった
突然の出来事。人の気配を持たない彼らは何なのだろう
全く状況を理解出来ていない千鶴とは対照的に、女はどこか確信めいたつぶやきを漏らした
「……新撰組、なんか……?」
しんせんぐみ。
それは、人斬り集団と恐れられている者たちの名だ
確かに千鶴がこれまで耳にした新選組の噂はどこか後ろ暗い影がつきまとっていた
だが、目の前の光景は噂以上だ。これではただの殺戮者だーー
と、突然背後で響いた音に千鶴の思考は無理矢理に断ち切られ、体が石のように硬直した
どうやら、背後の女が千鶴を連れゆっくり後ろへ後退していたらしい
その際、立てかけてあった板を倒したのだろう。しまったと舌打ち混じりの呟きが聞こえた
考え耽っていた千鶴が我に返る程の音だ。当然、虐殺に興じている男達にも音は伝わっていた
ゆらり、と血のような紅い瞳が千鶴へ向けられた瞬間
千鶴は着物の襟を思い切り後ろへ引っ張られ、二三歩よろめいてから尻餅を付いた
入れ替わるように、女が前へ進み出る
「……あ」
思わず、声をもらしたのはこんな状況にもかかわらず、ようやく目にした女に見入ってしまったから
闇夜に浮き上がる凛とした立ち姿。それはどこか浮世離れしていて
束の間、千鶴は自分が命の危機にあることを忘れた
横顔だけ向けた女が、射るような視線を寄越した
「ここはウチが何とかするさかい、あんたはお逃げ」
鋭く言い、懐に手を差し入れ取り出した短刀を慣れた手つきで女は構えた
まさか、一人であの男達に対抗するつもりなのだろうか
我に返った千鶴は焦った声をあげた
「で、でも……!」
対抗するなんて、無理だ
一人で逃げるなんて出来ない
けれどどれも言葉にならない
戸惑っている間にも女は一気に踏み込み
幽鬼のような男達に向け月光に光る刃を振り翳す
キン…と刃と刃のぶつかる音が空気を震わせた
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初薄桜鬼…!
お相手は斎藤さんです。結構な長編になりそうです
序章ではヒロイン名前出せませんでしたね…すみません
そして新選組隊士も出ていない…