緋牡丹想々#7
杯の酒を一気に飲み干す姿を見、は満足気に目を細める
やはり酒は上手そうに呑む姿が一番だと思うと、笑みは自然に零れた
「ええ呑みっぷりやね」
空の杯に酒を注ぎながら素直に誉めると、原田はほんのり染めた頬を緩ませた
「別嬪の酌で呑む酒は格別だからな」
「ほんまに口が上手いんやから。他の姉さん達にも同じ事言うてはるんでしょ?」
「あーあ、もうこの手は使えねえか。始めの頃は真っ赤になって照れてたのにな」
つまらなそうに言った原田には気付かれない程度に、は頬を赤くした
原田の言う通り、始め頃はちょっとしたほめ言葉やお世辞にも照れてしまって
上手にあしらう事ができなかった
今でこそ、だいたいの事には対応出来るが、女郎としては未熟だった頃のを知っている原田には重大な秘密を握られているような恥ずかしさがあった
「けど、嘘は言ってねえぜ?は別嬪になったし、の酌で呑む酒は旨いからな」
「もう……ほんまに口が上手いんやから」
流石にここまで褒められれば照れる
他の客ならば、却って醒めてしまうような褒め言葉だが、原田に言われると素直に喜べてしまう
「みんなそう言うだろ?斎藤だってこれ位の事……って言うわけねえか」
苦笑しながらが小さく頷くと、原田は乱暴に頭を掻いた
「ったく、褒め言葉ひとつも言わないたあ、あいつ一体ここ何しに来てんだ?」
「お仕事やろ?」
何故か腹を立てている原田を楽しそうに見ながら答える
ついでに言えば、斎藤の代わりに来た原田も今は隊務中なのだ
酒を一滴も呑まない斎藤との対照的なふるまが面白い
「んな事分かってるけどよ、酒も呑まないんだろ?勿体ねえじゃねえか」
「ほな、原田さんが斎藤さんの分まで呑んであげて」
杯になみなみと酒を注ぐと、原田は嬉しそうに一息で飲み干した
「つか、悪かったな。本当は今日も斎藤が来る予定だったんだが、無理言って代わって貰ったんだ」
「そうやったん?でも、謝らんといて佐之さん。馴染みの人の方が安心するし」
原田だけが新選組幹部の中で唯一交流が続いていた
女郎になったばかりのを案じたのだと訪ねて来た原田の前で、化粧が剥げるのも構わず泣いた事は今となっては恥ずかしい記憶だが
「そりゃ良かった。今は監視としてじゃなけりゃお前の所に通えなくなっちまってな」
「それは、そうやろうなぁ」
今のは新選組にとって危険な存在だ
個人的に会う事など許される訳がない
「けど、そこまでしてウチに会いに来てくれたんは、なんで?」
素直な疑問を問い掛ける
原田は杯に目を落として、僅かだけ沈黙した
「辛いんじゃねえかと思ってな」
「辛い……?」
「斎藤だ。斎藤に遊女として会うのは辛いんじゃねえのか?」
「……」
原田のいう通り、斎藤だけには女郎のとして会いたくなかった
色里の女に染まりきっていなかったあの頃のだけを覚えていて欲しかった
だが、そんな感傷的な思いを抱いていたのは少し前までのだ
「せやなぁ……けど、ウチはゲンキンな女やさかい」
わざと艶めいた笑みを見せる
「この姿を見られたない、なんて考えは斎藤さんの姿見た途端にどうでも良くなったわ」
あの夜、一瞬で新撰組隊士を斬り伏せる姿を見た時
そして座敷でひとりを迎える姿を見た時
立場などどうでも良くなった
自身呆れる程に、斎藤と共に過ごせる事が嬉しかった
「そうか」
短く呟いた原田が、大きな手を伸ばしの頭を優しく叩いた
「もう、また子ども扱いする」
「悪い悪い。つい、な……ま、お前がいいってんならもう心配する必要はないな」
批難めいた視線を気にする事もなく笑った原田は本心から安堵しているようで
は急に申し訳ない気持ちになった
“自分が死んでも悲しむ人は居ない”以前彼らの前で放った言葉の重大さを今更ながらに痛感する
あの時は、少女……雪村千鶴を助けたい一心で口にした言葉だが半分は本心だった
けれど、たとえ本心でも出鱈目でも口にするべきでは無かったのだ
遅い後悔に唇を噛んだの顔を原田が覗き込む
「どうした?そんなに子ども扱いされるのが嫌だったか?」
「ううん、そうやなくて……って、こんな暗い顔してたらあかんなぁ」
「別に構わねえけどよ。何か他に悩みでもあんのか?」
目下の悩みは勿論新撰組の事だが、流石にそれを口にする訳にもいかず
は笑って首を振った
そして、ある事を思い出し懐へ手を入れる
取り出した、手の平より少し小さな箱を不思議そうに見つめる原田へ
千代紙で作られたそれをずいと差し出した
「なんだ?これ」
「これ……千鶴ちゃんにって思て」
「千鶴に?」
「大したものやないけど、左之さんから渡してくれへん?」
中身は、季節をかたどった干菓子だ
ささやかな贈り物だが、少しでも慰めになれば良いと思う
ただでさえ小さな千代紙の箱は、原田の手に渡ると益々小さく見えた
しばらく箱を見つめていた原田は、優く微笑むと大事そうに懐へ仕舞った
「おおきに、左之さん」
礼を込めて注いだ酒を原田が嬉しそうに飲み干す
やはり良い呑みっぷりだと、は目を細めた
next
島原、左之さん編でした