緋牡丹想々#8
結果的には忠告に従い大人しくしている、というのが少々癪ではあるが
それでもがあの夜以来調査を中断しているのは
相手が彼らだからだ
彼らには恩があり、大切な思い出がある
そして、新選組の脅威になる存在ならば誰であろうと容赦しない事を知っていたから
“新撰組”は決して知られてはいけない闇だ
もし忠告を破り、闇を探ろうとするならば今度こそは殺される
いや、たとえ忠告を守っていたとしても
彼らがひた隠しにする闇の正体をが知り、密かに調査している事が発覚すれば……
は小さく息を吐き、胡乱な手つきで釜の湯を掬った
ともあれ、わざわざ危険を侵さなくても情報ならいくらでも入って来る
立場柄、嫌でも新選組の情報は耳に入るのだ
山南敬助が負傷したという話
そして、先日の池田での騒動で藤堂と沖田も負傷したと聞く
命に別状はないらしいが、実際に無事な姿を見るまでは安心できない
かといって、監視にやってくる斎藤が内部の事情を簡単に話す筈もなく
やきもきとした気持ちを密かに持て余していた
「」
負傷して以来、山南は刀を握っていないという
剣士としては致命的な傷らしい
藤堂や、沖田はどうなのだろうか?彼らが闘った相手が相手だけに不安は尽きない
「。!」
「!」
ようやく名を呼ばれている事に気付き、現実に引き戻される
「いくら何でも、入れ過ぎじゃないかしら」
苦笑混じりの柔らかい声の主へ、ぼんやりとした顔を向け
次いで、彼女の視線を辿って自分の手元へ目を落とした
膝元に置かれた茶碗に注目する
茶碗の中では、抹茶がこんもりとした山を作っていた
「……あ」
一体何杯入れたのだろう。無意識の行為だ
茶の稽古中だという事もすっかり忘れ、考えに耽っていた事に今更気付く
すっかり動揺してしまったは、状況を改善しようと手を動かした途端
その手に持たせていた棗を取り落とし、畳に抹茶をぶちまけた
「す、すんません!」
「いいわ、今日はもう止めましょう」
「堪忍ぇ……君菊ねぇさん」
しょんぼりと項垂れるを見た君菊が困ったように笑う
今の君菊は島原言葉ではなく、本来の口調に戻っていた
は密かに本来の話し方の方が気に入っている
なんとなく、優雅で気品のある響きがするのだ
言葉遣いだけでなく、にとって君菊は憧れの存在でもある
その君菊が折角稽古を付けてくれていたのに、全く身が入っていなかった己を恥じた
「稽古に身が入らない程、彼の事でも考えていたのかしら」
「や……ちがっ!ウチは斎藤さんの事なんて……!」
「あら、誰も斎藤さんだとは言っていないけれど?」
からかわれた。
堪えきれず、声を押し殺して笑う君菊を見て
は更に頬を赤らめた
斎藤の事だけを考えていたわけではないが
「彼」と言われ、真っ先に斎藤を思い浮かべた自分が恥ずかしくて堪らない
尤も、気がつけば斎藤の事ばかり考えているのは事実でもあるが
「本当に、彼が好きなのね」
「ねっ……ねぇさん!」
茶杓を握りしめて抗議の声を挙げるが
ふっと柔らかい目をした君菊にそれ以上の言葉を押しとどめられてしまう
「それに、彼もようやくその気になってくれたみたいだし」
「……え?」
「最近、熱心に通ってくれているじゃない」
「それは……」
あの夜の事を、君菊には話していない
だから、君菊は知らない。斎藤がの元を訪れる本当の意味を
君菊の役に少しでも立ちたくて、忍の真似事を始めてずいぶん経つ
元々が忍の仕事に関わる事を君菊は歓迎しておらず
危険性の少ない情報収集位しか任せて貰えなかったのだが
“新撰組”についての調査だけはどうしても自分に任せて欲しいとが懇願したのだ
だから本来ならばあの夜の事もきちんと報告しなければならないのだが、どうしても言
えなかった
もちろん口止めされているという事実もある
だが君菊に言えずにいるのは……怖いからかもしれない
新選組が極秘に行っている研究。それは根拠のない噂などではなく事実だと、そう口に
するのが怖かった
だからと言って、いつまでも黙っているわけにはいかない
姉のように母のように慕う君菊への隠し事は、明らかな裏切りだ
言わなければいけないのは分かっている
だが、は結局誤摩化す為の笑みを浮かべた
「いややわぁ君菊ねぇさん。あんまりからかわんといて」
「あら、いいじゃない。少し位からかってもバチは当たらないわ」
「もう、イケズやなぁ」
すみません。と心の中で詫びながらは曖昧に笑い続けた
身を守る為とはいえ、彼らに嘘を付いた
その彼らをこれ以上裏切りたくなくて、君菊に嘘を付いた
本当に、嘘ばかりが上手くなってゆく
「そうそう、今夜の事なんだけど」
話題を切り上げた君菊が、少し改まった声を出した
仕事の話だと察したは話題が逸れた事に少しだけ安堵して、君菊に向かい合う
「実は今夜姫様のお客人が来られるのだけど、貴女にお願いできるかしら?」
「千姫さまのお客人なら大切な方でしょう?ウチなんかでええんですか」
「いいの。だって、その方たっての希望なのよ」
「はぁ……」
君菊が仕える、京の鬼である千姫の客人ならば何人か見知ってはいる
だが、が指名される覚えも理由も見当がつかない
とはいえ、断る理由も権限もないは君菊へ了承を伝えた
静かに襖を開き、両手を揃えて付いた
深く一礼した後に顔を上げたは、部屋の奥の人物をみとめ
一瞬だけ目を細めた
膳を前にしたその“客人”は寛ぐ様子もなく
生真面目に背筋を伸ばして、をまっすぐ見つめていた
その姿に少しだけ斎藤を重ねてしまったはなんだか微笑ましい気持ちになって
客人へ優雅に微笑みかけた
「お久しぶりです――天霧さん」
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新選組メンバー以外のキャラ初登場です。